4つのの事故報告書
原発事故がどうして起きたのか、1年4カ月経って4つの報告書が不十分ながらでそろった。一つでも読んだ訳ではない。あの分厚い報告書の姿を見ただけで、その意欲も出ないし、多分読解するだけの時間も知識もないと思う。だから、分かるのはマスコミ発信の分析位である。1、政府原発事故調 最終報告書 2、福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告 3、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調) 4、東電事故報告書の4つがある。最初から一番気になっているのは、地震で壊れたのか。あるいは電源が切れて冷却水が行かなくなって、壊れたのか。この違いである。これだけは比較してみたが、どうも、国会事故調と、民間事故調の報告書では、地震そのものによる、配管や継目の損傷の可能性が指摘されている。東電や政府の調査では、津波による電源の損傷が原因としている。現状つぶさに確認しながら、調べることが出来ないので、曖昧なことは仕方がない面がある。
しかし、原因も今だ究明できずに、何故大飯原発の再開だけは安全宣言がされているのか。野田さんが責任を持ってくれるらしいが。最初から再開の結論があって、すべてをそこにこじつけた政治判断と考えるしかない。こういう事の決め方が、ぐずぐずでなっていないのだ。それでも、一応の事故原因の報告書が出たのだから、今度は責任の追及である。これだけの被害を与えて責任を取るものがいないと言うことはあり得ない。迷惑をかけたら、賠償を払い、刑務所に入る。そうでなければ社会的企業の正義が揺らぐ。別段東電の幹部が憎い訳ではない。しかし、誰かが分かりやすく責任を取らされることで、企業が馬鹿なことを止めるのだ。電力業界では、原発の推進の意見を、平等に言わせてもらえないというので、抗議をしていた。確かに、電力会社にも言わせるべきだ。そしてその発言の責任を取る。先日の公聴会での電力会社の社員の意見では、死んだ人のいない程度の事故という、びっくりするような言い回しをした。
今回の事故は私には、敗戦と同じくらいの歴史的敗北を意味する事件だと思っている。ここで、文明の方向を確認しろという、天の声ともいえる大きな事故である。この事故を死者が居ないくらいの小さなものだという認識が、電力会社にあるのであれば、歴史認識の不足である。そうした電力会社は営業を停止しなければならない。2度とあってはならない深刻な事故を起こしたという共通認識に立たない限り、エネルギーの将来構想など立たない。そう言う意味でも、事故の調査と責任の取り方は、明確にしてほしい。電力会社というものが、おごっていて、反省がなく、利益追求に躍起になっている存在か。国民が知る意味でも、電力会社枠を設けて、大いに意見を言わせた方がいい。政府が突然中止を命じたのは、とんでもない発言で、いよいよ墓穴を掘りそうだからに違いない。東京電力とは、賠償交渉で接触したが、全く社会常識のない。特殊な人たちであった。きっと責任者が刑務所に入るなど、考えてもいないことだろう。
原発を稼働することが利益につながるという構造を止めることだ。当たり前の事故対策や、核廃棄物処理を義務ずけることだ。儲からなくても原発を選択する訳がない。事故原因を一番真剣に調査すべきは、国会であろう。政府や東電がいくらやっても信頼性がないのは、事故を起こした当事者だから当然のことだ。民間事故調では、確かに偏りがある場合もないとは言えない。国会は一応作ってどうもその後、各調査を比較検討し、検討を深めるというようなことをしていないようだ。日本の英知を集め、事故の原因調査をすることが第1歩である。原因が分からなければ、対策などあり得ない。私には地震国日本では、原発の安全性も核廃棄物の安定処理も極めて困難に見えるのだが。これも、正しい事故分析が出来なければわからないことではある。