農の眺め

   

はざ掛けに陽ざしが当たっている。

この冬は緑肥作物を作る。レンゲや菜の花は景観植物ということで、冬の田んぼに栽培することが、奨励されている。特に小田原では二宮尊徳のこともあって、菜の花の栽培がされている田んぼがある。冬の田んぼに緑や花があれば、景色が寂しくならない。それよりも何よりも、田んぼがそこにあるということが、美しいものだとおもう。そのことは里山風景を水彩画に描いていて、特に思うことだ。田んぼが土地の高さに沿って棚になる。この感じが何とも言えなくいい。田んぼは水を必要としているから、自然との兼ね合いがうまく取れている。自然に無理をさせては何世代にわたって作ることができない。田んぼは500年1000年と同じ場所で、耕作され続けてきた。そして時には崩れることがあったとしても、出来る限り自然になじむように再構築されてきたのだろう。自然を壊すのではなく、自然に織り込まれるように、人間の暮らしを治めてゆく。それが日本の里山の美しい風景を作り出した。このことが大切なのだと思う。

強い陽射しがはざ掛けを幾何学的に見せる。

はざ掛けは美しいものだ。一年に一度1週間だけ作り出される景観。今年は雨が一度も降らずの1週間である。全く幸運である。異常乾燥注意報が二日も出るほどの乾いた空気で5日間で15%以下になった。ほど良い風も吹いてくれた。こんな年は初めてのことだ。今年の稲作は日照不足に泣かされた。6月と8月から9月に20日間も晴れ間がなく、稲に病気が出てしまった。残念なことであったが、何とか無事稲刈りが出来たのだから、有難いことだ。景観植物のことであった。冬に作物が作られているということが美しいことであって、 畑にバラやチューリップがあったとしても、美しい景観を作るということではないということだ。そこで合理性のある生産活動がされているからいい。そこでの暮らしと結びついた風景であるからこそ美しいということだろう。

諏訪の原に県立公園が出来た。昔は畑だったところだ。そこが今は公園になった。ずいぶん手をかけているが、景観としては何かなじまないものだと私には思える。昔の畑だったころは良かったという人が多いい。畑の中の舗装されてない道を散歩下のは、美しい記憶として多くの人に残っている。フランスの庭園が日本人にはなじめないのは、そういうところなのだと思う。人工的ということを、美しいとは思えない。人間が自然をコントロールしてしまうことを、素晴らしいとは思えない。それが日本人の美意識。人間の暮らしが自然になじんでいるという状態こそ美しいという感じは日本人として大切なものだと思う。このあたりの美的感性は日本人が長い暮らしを通して作り出したものだし、失ってはならないものだと思う。

冬の田んぼに緑肥を作る場合、どんな緑肥作物が日本の自然に合うのかも、選択する要素だと思う。例えばレンゲが多かった地方では、レンゲなのだろうし、クローバーを作っていたところもあるだろう。赤クローバーやクリムソンクローバーは景観にあるのだろうか。ヘヤリーベッチも何か違うのかもしれない。今年いろいろの緑肥を作るので、景観的な比較もしてみたいと思っている。小田原にはやはり菜の花なのだろうかなどと考えるが、菜の花を十分に作るには苦労する。これを試みてみるというのはあるのかもしれない。種はすでに購入したので、みんなが選んでから菜の花が残れは、菜の花を蒔いてみよう。今まで、菜の花を作れば油を取らなければとつい考えてしまう。一度油まで取ったことはあったが、今ではそこまでの気力がない。

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