五穀栽培を次世代につなぐ

小麦の播種した場所。

サトウキビだった畑に、タカキビ

田んぼだった場所にハダカムギ 少し小麦

大豆の後作にとおもろこし 少し小麦

以前田んぼだったところに、もちきび、粟、ヒエ
2月11日、中曽根直子さんにお目にかかることが出来た。以前から那覇にある「浮島ガーデン」の雑穀生産組合の話は聞いていた。その組合を立ち上げ、組合長として様々な活動を続けられていることは、知っていた。不思議なことに、のぼたん農園の雑穀播種日に、石垣島に見えてプロジェクトを開催された。
2月11日は以前から、雑穀播種日と決めていた。ところが11日は雨が二時から降るということで、急遽前日の10日に集中して播種を行った。急に平日に移動して行ったのだが、9名の参加で無事終わった。3畝少しある畑4枚の段々畑である。集中して行い素晴しい播種になった。
11日はネット張りだけはやりたいと考えていたのだが、大勢の人が来てくれたので、午前中でネット張りも終わることが出来た。これで午後のプロジェクトに参加できることになった。何故、ネットを張らなければ雑穀栽培が出来ないのかというのも不思議なことではあるが、ネズミや鳥に食べられてしまう可能性が高いのだ。
午後時間が出来たので、2時からの「五穀芸能プロジェクト」に間に合うように、急いでごはんを食べて、小麦の種まきをした。麦は緑肥のつもりで蒔いた。ネットは架けない。食べられたら仕方がないと言うことだ。ススキ原になっていたので、ススキを取り除き、トラックターで3回耕し、肥料を入れないまま、小麦を蒔いた。
小麦は雑穀畑の空いた部分の2カ所と、五番田んぼの畑にも作ってある。こちらは堆肥は入れてある。何とか収穫までこちらは持って行ければと考えて蒔いてある。五番田んぼの畑ではすでに発芽をしている。こちらも肥料不足ではあるので、追肥はして行こうと考えて居る。
のぼたん農園では、以前から稲、小麦、大豆、は作ってきた。のぼたん農園は主食の自給の体験農場であるから、当然作らなければならない作物である。所が柵夏は極端な日照りで、水田の水がなくなり、不念になってしまった。五穀栽培の意味を知った。
それでも、失敗を繰り返しながら、これではダメだと言うことは抑えてきた。つまりだんだん目標が狭まってきた。今年こそ、しっかりとした稲作りをする。大豆はひとまず収穫まで来た。小麦も一応作れることは確認できた。あとは、どのように手をかけて、栽培法を完成するかまでは来た気がしている。
大豆の裏作をどうするかと言うことから、イネ科の作物を考えるようになった。収穫までは考えないで、大豆の緑肥でも良いと言うつもりで、やってみようと言うことになった。まずは失敗をして探ろうという、いつもの作戦である。それなら、前からやりたかったハダカムギは是非とも作ろうなど考えたら、ワクワクしてきた。
台湾ではトウモロコシを大豆の裏作には作っていると言うから、これはやらないわけにはいかない。後はソルゴーでも良いという話もあったのだが、どうせなら五穀を作ろうじゃないかと言うことで、タカキビは作ろうと言うことになった。緑肥という意味ではソルガムの中のソルゴ-と言うことになる。
タカキビはコウリャン高黍の方がなじみがあるかも知れない。「赤い高黍」という中国のすばらしい映画でなじみがある。これがタカキビである。私の作っていたソルゴーは赤くならなかった。特に緑のまま熟すグリーンソルゴーだったわけだ。
これで3つは決まって、もう一種はやはりモチキビと言うことになった。こちらは種はごく小さいものだ。餅米に混ぜて、突くと美味しいお餅が出来る品種である。金沢の学生時代に食べて懐かしかったので、作りたかった。すると堀口さんが見つけた。というので取り寄せてくれた。何と昔のままの、金沢のキビモチがあったので、感激してしまった。
五穀という言葉は中国で生まれた言葉である。重要な穀物という意味で、稲、黍(きび)、稷(あわ)、麦、菽(まめ)の5つとされることが多い。稲は主要作物である、お米。きびは様々あり、とおもろこし、こうりゃん、などを含めて良いのだろう。そして麦、麦も多様である。菽(まめ)は大豆、アズキ、そらまめとこれも様々だろう。
日本には五穀の言葉だけ渡り、主要な穀物が中国とは違っていたために、その地域ごと、年代別に、五穀は選ばれたようだ。八重山に於ける五穀は、「粟、麦、キビ、小豆、アラカ(もしくはクバ)」とされる。クバが入れられていると言うことを、昨日始めて知った。
中曽根さんによって掘り起こされた雑穀文化の継承。これは大切なことだ。のぼたん農園が伝統農業の農園を名乗る以上、五穀栽培をしないわけにはいかない。だんだんそう思うようになっていた。そこに、なんと播種日に中曽根さんが石垣に見えて、雑穀プロジェクトを開催されると驚く展開である。
何とか中曽根さんにお目にかかるだけは、この機会を逃すわけにはいかないと思い、小麦のは種を急いだ。石が多すぎる畑だったので、権兵衛播種機が引っかかり大変ではあったが、それでも1時間ほどで、播種が出来た。カヨさん、アイミ-さん、ワカナさんの3人が、頑張って蒔いてくれた。
この新しい麦畑は、ついこの前まではススキが生い茂った荒れ地だった。ユンボで均してからトラックターをかけた。石拾いをしては3回トラックターをかけたのだが、まだまだ石が多い。小麦が出てきたら、石拾いをしながら、追肥をしながら、麦踏みをしたいと思っている。
上の元小麦畑だったところも、整備が出来たら、小麦を蒔いておけばと思う。何か作らなければ、畑土壌は良くならない。まずはユンボの練習をして貰うことだ。どうすれば平らに均せるかを練習して貰う。それが出来たらば、今度はトラックターの練習をして貰う。小麦を蒔くのが遅れてもかまわない。
中曽根さんは沖縄の五穀文化復活の活動をされている。浮島ガーデンを始めて15年と言うことになる。石垣では、のうぎょうこう2月11日、中曽根直子さんにお目にかかることが出来た。以前から那覇にある「浮島ガーデン」の雑穀生産組合の話は聞いていた。その組合を立ち上げ、組合長として様々な活動を続けられていることは、知っていた。不思議なことに、のぼたん農園の雑穀播種日に、石垣に見えてプロジェクトを開催された。
2月11日は以前から、雑穀播種の日と決めていた。ところが11日は雨が二時から降るということで、急遽前日の10日に移動して播種を行った。急に平日に移動して行ったのだが、9名の参加で無事終わった。3畝少しある畑4枚の段々畑である。
11日はネット張りだけはやりたいと考えていたのだが、大勢の人が来てくれたので、午前中でネット張りも終わることが出来た。何故、ネットを張らなければ雑穀栽培が出来ないのかというのも不思議なことではあるが、ネズミや鳥に食べられてしまう可能性が高いのだ。
午後時間が出来たので、2時からの「五穀芸能プロジェクト」に間に合うように、急いでごはんを食べて、麦まきをした。麦は緑肥のつもりで蒔いた。ネットは架けない。食べられたら仕方がないと言うことだ。ススキ原になっていたので、ススキを取り除き、トラックターで3回耕し、肥料を入れないまま、小麦を蒔いた。
小麦は雑穀畑の空いた部分の2カ所と、五番田んぼの畑にも作ってある。こちらは堆肥は入れてある。何とか収穫までこちらは持って行ければと考えて蒔いてある。五番田んぼの畑ではすでに発芽をしている。こちらも肥料不足ではあるので、追肥はして行こうと考えて居る。
のぼたん農園では、以前から稲、小麦、大豆、は作ってきた。のぼたん農園は主食の自給の体験農場であるから、当然作らなければならない作物である。石垣島での栽培は、小田原に比べて困難を極めている。鳥とネズミと病気の害が厳しい。
それでも、失敗を繰り返しながら、これではダメだと言うことは抑えてきた。つまりだんだん目標が狭まってきた。今年こそ、しっかりとした稲作りをする。大豆はひとまず収穫まで来た。小麦も一応作れることは確認できた。あとは、どのように手をかけて、栽培法を完成するかまでは来た気がしている。
大豆の裏作をどうするかと言うことから、イネ科の作物を考えるようになった。収穫までは考えないで、大豆の緑肥でも良いと言うつもりで、やってみようと言うことになった。まずは失敗をして探ろうという、いつもの作戦である。それなら、前からやりたかったハダカムギは是非とも作ろうなど考えたら、ワクワクしてきた。
台湾ではトウモロコシを大豆の裏作には作っていると言うから、これはやらないわけにはいかない。後はソルゴーでも良いという話もあったのだが、どうせなら五穀を作ろうじゃないかと言うことで、タカキビは作ろうと言うことになった。緑肥という意味ではソルガムの中のソルゴ-と言うことになる。
タカキビはコウリャン高黍の方がなじみがあるかも知れない。「赤い高黍」という中国のすばらしい映画でなじみがある。これがタカキビである。私の作っていたソルゴーは赤くならなかった。特に緑のまま熟すグリーンソルゴーだったわけだ。
これで3つは決まって、もう一種はやはりモチキビと言うことになった。こちらは種はごく小さいものだ。餅米に混ぜて、突くと美味しいお餅が出来る品種である。金沢の学生時代に食べて懐かしかったので、作りたかった。すると堀口さんが会ったというので取り寄せてくれた。何と昔のままの、金沢のキビモチ買い間もあったので、感激してしまった。
五穀という言葉は中国で生まれた言葉である。重要な穀物という意味で、稲、黍(きび)、稷(あわ)、麦、菽(まめ)の5つとされることが多い。稲は主要作物である、お米。きびは様々あり、とおもろこし、こうりゃん、などを含めて良いのだろう。稷(あわ)は日本ではあまりないような気がする。そして麦、麦も多様である。菽(まめ)は大豆、アズキ、と多様だろう。
日本には五穀の言葉だけ渡り、主要な穀物が中国とは違っていたために、その地域ごと、年代別に、五穀は選ばれたようだ。八重山に於ける五穀は、「粟、麦、キビ、小豆、アラカ(もしくはクバ)」とされる。クバが入れられていると言うことを、昨日始めて知った。
中曽根さんによって掘り起こされた雑穀文化の継承。これは大切なことだ。のぼたん農園が伝統農業の農園を名乗る以上、五穀栽培をしないわけにはいかない。だんだんそう思うようになっていた。そこに、なんと播種日に中曽根さんが石垣に見えて、雑穀プロジェクトを開催されると驚く展開である。
何とか中曽根さんにお目にかかるだけは、この機会を逃すわけにはいかないと思い、小麦のは種を急いだ。石が多すぎる畑だったので、権兵衛播種機が引っかかり大変ではあったが、それでも1時間ほどで、播種が出来た。カヨさん、アイミ-さん、ワカナさんの3人が、頑張って蒔いてくれた。
新しい麦畑は、ついこの前まではススキが生い茂った荒れ地だった。ユンボで均してからトラックターをかけた。石拾いをしては3回トラックターをかけたのだが、まだまだ石が多い。小麦が出てきたら、石拾いをしながら、追肥をしながら、麦踏みをしたいと思っている。
上の元小麦畑だったところも、整備が出来たら、小麦を蒔いておけばと思う。何か作らなければ、畑土壌は良くならない。まずはユンボの練習をして貰うことだ。どうすれば平らに均せるかを練習して貰う。それが出来たらば、今度はトラックターの練習をして貰う。小麦を蒔くのが遅れてもかまわない。
中曽根さんは沖縄の五穀文化復活の活動をされている。浮島ガーデンを始めて15年と言うことになる。中曽根さんのプロジェクトとして、石垣島では、八重山農林高校と八重山商工高校の郷土芸能部が連携して、五穀文化の学びを深めている。その成果を「世ば稔れユバナウレ」の演目に仕上げている。
今回その演目を見せていただいた。素晴らしいものだった。感動につつまれて胸が熱くなった。五穀栽培が続いて行くように、のぼたん農園でも五穀の伝統農業を継続したいと決意した。両校の作品は、秋田で行われる全国高等学校総合文化祭に県代表として出場することが決まっている。
タカキビから作る伝統食、フカンギをいただいて帰った。のぼたん農園でも、タカキビを収穫して、フカンギを作ってみたいものだ。雑穀栽培は収穫後が難しい。どうすれば良いか試行錯誤してみたい。そして、1人では継続できないが、のぼたん農園の仲間が、長く栽培を続けてくれれば良いと思う。