サンケイ新聞のソウル支局長起訴
北斗市 河岸段丘上の畑 中盤全紙 そばに友人で絵を描いてる友人がいた。時々描きに行った。畑の向こうに切り立った崖がある所に惹かれた様な気がする。
韓国の大統領に関するサンケイ新聞の記事が原因で、ソウル支局長が起訴された。政府も日本の報道機関も自由な報道を制限する、民主主義を否定する行為だと、韓国政府に強く抗議している。東京新聞も社説で、この問題を取り上げ、強く抗議している。産経新聞を私は、夕刊紙レベルだと考えている。夕刊フジとか、日刊ゲンダイに載った記事なら、そんなもんだと思われて済んだ話ではないか。韓国紙「朝鮮日報」が元ネタのようだが、こちらは問題にされていないらしい。韓国側としては常日頃のサンケイ新聞の偏り記事に腹が据えかねたということなのではないか。朝日新聞の従軍慰安婦虚偽報道叩きもいい加減にしろという、シグナルなのかもしれない。サンケイお前も虚偽報道やっているということ。いずれにしても、自由な報道を妨げるという行為は、どれほど腹が立っても行うべきではない。民主国家であれば、報道の自由は最低限守るべき条件である。この点では政府や日本の報道機関と私も同意見である。
しかし、ソウル支局長の態度はどうも良く分らない。何か見えない圧力でもかかっているのだろうか。本社から発言が制限されているのだろうか。もっとはっきりとした態度をとるべきだ。問題となる記事は、多くの子供たちが死んだ昨年済州島の海難事故の際、「大統領が7時間行く先が不明だった。それは男と密会をしていたらしいと。」いう記事だ。これは虚偽報道と言う可能性が高いと思う。韓国のように、戦時下にある国家の大統領が7時間行方不明はあり得ない。もしそんなことが起きていたと言うなら、国家の一大事であり、軍事的にも重大な問題に成る。だから、そんな伝聞記事を書いてしまう新聞記者としての資質を疑う。悪く言いたかっただけが目的に見える。他所の国の大統領のスキャンダルと、報道の自由と、報道としての見識。朝日の記事が日本の国際的信用を貶めたものだとするなら、産経の今回の記事も似たような側面はある。もし、そうでない何か証拠をつかんだというなら、その証拠を早急に示すべきだ。人の嫌がることをあげつらって、おもしろがろうと言うだけなら、そんなものは報道の名に値しない。
いずれにしろ、サンケイ支局長は事実をきちっと述べるべきだ。記事の出どころの守秘義務はあるだろうが、話せることは話すべきだ。私の印象では、「朝鮮日報」からの伝聞記事の域を出ないと読める。このことだけでも明確にすべきだ。伝聞記事であるなら、その根拠を述べてむしろ謝罪すべきだ。それが報道としての見識だと思う。夕刊紙並みではないという自覚があるなら、だけれども。いずれにしろ、他所の国の大統領の私的生活の問題点を、証拠もないスキャンダルの角度からあげつらおうという態度は、見苦しいことだ。批判精神のある報道機関としてあっては成らないことだ。証拠を示すことができないならば日本の報道機関が世界に恥を書くことに成る。すでに恥を書いていることだろう。最近の日本の報道機関はレベル低下がひどい。それは朝日でもサンケイでも変わらない。良い記事が無いとは言わないが、全体的に見て、報道の使命意識が低下している。
報道の使命とは批判的視点だ。問題意識だ。報道は権力に対して、言論で対抗する気概が必要だ。権力の独善を戒める精神が、報道には必要だ。政府のブレーキに成る意識を忘れては成らない。政府のちょうちん持ちであるなら、政府広報で沢山だ。証拠のないスキャンダルなど書けば、それだけで言論の力を低下させることになる。夕刊ゲンダイには結構いい記事がある。しかし、ゲンダイに書いてあったから間違いが無いとは、誰も思わないだろう。韓国政府批判であっても告訴はしないのだろう。まあそんなものだという位置づけがされているからだ。報道は、主流に成っては成らない。傍流のサブカルチャーの様な位置を持つべきだ。現代はインターネットの時代だ。無数のサブカルチャーがネットから登場している。意味があるか、意味がないかは、受け手側が決めて行く。大企業の報道機関であっても個人でも、発信という意味では対等である。あと少しで、報道の世界は様変わりするはずだ。