『知恵を出さないやつは助けない』
松本復興大臣の岩手県知事を前にしての発言である。知恵を出し合わなければこの難局は乗り越えられない。復興のための知恵を被災者自身がだすことだ。現地で意見が分かれているようでは、政府に協力のしようがないではないか。やる気のある者に限って、国は支援ができる。こういう内容のつもりであろう。就任の挨拶では、民主党も、自民党も、嫌いだというような政党否定のようなことも発言した。それならなぜ、民主党の議員でいるのだろうと、何か持ってまわった言い方。わざと直接的でない言い方をして、自分のユニークさを示そうというタイプかな。等思っていた。沈みかけた泥船に乗りたくなかったのか。虫の居所は悪かったようだ。復興大臣と言う今一番の重要閣僚に成りたくなかった。本来政治家なら、ここぞという場面だと思うのだが、ひどくためらいがあった。
驚いたのは松本氏が被災者ではないということだ。被災者と気持ちの上で全く異なるということだ。わたしは日本人として被災者の一人になってしまって、ただただおろおろしてきた。この災害を前にして、意気消沈してしまったし、気力も絶え絶えである。100日を過ぎて、やっと喪が明けたのかもしれないという、情の無い状態である。腕三理に出来た湿疹もやっと治り始めた。九州人だから、東北の地理関係には疎いという発言もあった。何故、小澤さんや渡邊さんのような東北人を任命しなかったのだろう。どの道、管総理の最後っ屁のようなものだ。ところがどうも、管さんは最後のどんでん返しを夢見ている状況だという意見があった。死刑囚は、最後の処刑の寸前に恩赦で死刑が執行されないという、夢にすがる心理が生まれるという。ロシアには、そう言う刑罰が演出されていたということも聞いた。
智慧とは何だろう。知恵の方でも良い。復興のアイデアと言うようなことだろう。復興プランなどでそろっている。要は、実行が出来ない。これが今の行政の姿だ。行政機能が失われ、現地と政府との良い連動が出来ない。現地には100日を過ぎても手つかずのような所がまだあるという話だ。確かに、知恵が発揮されていない。原子力発電所の事故が併発したことが、政府の機能不全に影響している。政治など何もしてくれない。政府には原発を管理する能力がない。東北全体を震災から復興する能力など、全くなさそうに見える。と言って、誰ならできるというような、様子もない。政治家と言うもの人種は、政治家に成ることが目標である。政治家になったらその地位を維持することが目的になる。一種の就職のつもりだから、政治家に成っていれば、実は満足な人種のようだ。だから次の選挙の事以外考えなくなる。ボランティアに出掛けたという議員は多い。高感度アップ。今政治家の役割は何かが分かっていない。
この日本の岐路に立って、玄海原発の再開をもう少し待つことは出来ないか。せめて福島の事故の収束が最低の条件だろう。日本人の多くは被災者である。気持ちのうえでは打ちひしがれている。恐怖感にまだ捉われている。無神経に原発を再開することは知恵のある行為だろうか。慾に目がくらんでいるとしか見えない。放射能での汚染を災害だとすれば、この復興は目途があるのだろうか。海の汚染は大変な状況であり、今のいまも地下水の汚染、そして海の汚染と続いていることだ。これは日本一国のことではない。日本海溝に静かに放射能が深く深く沈み込んでゆくことを願っている。祈っている。今や国民に出来ることは祈りだけだ。原発を収束する知恵など全くない。ただただ祈るばかりだ。何千万人の祈りが、強欲の反省に繋がれば、収まってくれるかもしれない。その祈りを吹き飛ばすように、まだ政府が分からないようなら、福島でまた放射能が爆発するかもしれない。
昨日の自給作業:コロガシ2時間 累計時間:13時間