小麦の放射線量
遠くない所にある小麦の放射線量が92ベクレルだったそうだ。じゃがいもは5ベクレルだったそうだ。一安心である。畑の場所はわたし達の小麦畑と、ほぼ同じである。じゃがいもは3月半の高濃度の放射線が降り注いだ頃、畑で芽も出ていなかった。土壌からの吸収は少ないことが分かった。小麦は穂を出し、花を咲かせるころだった。農水省が放射能の移行計数と言うものを出しているが、これは現状ではあまりあてにできない。今から植え付けるものについては、土壌の放射線量と作物の相関関係はあるだろう。それも、この後高い値の放射能が降り注がないという前提があればと言うことである。やはり新茶の放射線量がとても高くなってしまったのは、降り注いだ放射能を木がすいこんでしまい溜めてしまったからのようだ。常緑樹が春に向けて、栄養分を吸い込もうという春の3月の芽吹き時。チェルノブイリの事故も小麦には悪い時期だったらしい。
この数値をどう受け止めればいいかである。個人的な感想を言えば、全く問題なしである。この土地で耕作を続けて行きたい。100ベクレル以下のものなら、いくら食べても大丈夫であると考えている。地球全体が汚染されているのであり、放射能の量をどこかで線を引かなければならない。今も昔も、放射能の汚染はあったに違いない。今より高いことも原爆実験が繰り返された時代にはあったに違いない。さらに高い値の魚も食べていただろう。その影響で、ガンに成り死んだ人もいただろう。今もそうである。それはあくまで確率的な問題で、それでも平均寿命は延びてきたのである。必ず人間は死ぬのである。農薬が出来たときも、ガンは増えただろう。それでも、栄養失調で死ぬ人は減ったのだろう。放射能の汚染も困ったことではあるが、どうにもならないことをくよくよしていても始まらない。どこかでラインを引くしか安心は無い。私自身突然自動車事故が怖くて、自動車に乗れないという気分の時がある。
人間食べない訳にはいかない。放射性カリウムを含めれば、必ず食べ物にも放射性物質はある。よほどの処理をしない限り、放射能を含まない食べ物などない。仕方がないので、どこかでこの程度ならまず大丈夫だというラインを引かざる得ない。自分なりに考えて、よく食べるものに関しては、100ベクレルにした。お茶もそうである。飲む時に100ベクレル以下に成るなら、美味しく飲むことに決めた。この100ベクレルはわたしのラインである。田んぼで考えれば1000ベクレルの土壌含有が境目に成る。政府が信頼できない以上、すべての人は自分なりにラインを持つ必要があるのだろう。政府が言うのだし、500ベクレル4が妥当だという人がいても、それは全く問題ない。すべては確率的なことなのだ。人間は遠からず死ぬ。それまでがんにならなければいいだけのことである。自身100ベクレル以下と決めたら、安心して食べることである。
食べ物に対して失礼である。食べるということは命を頂いているのだ。疎かに考えることは出来ない。有難く感謝して食べる。食べる以上は農薬がある。放射能がある。そう言うことを考えては失礼なことだ。それなら食べるべきではない。この土地に生きるということは、この土地を少しでも良くして死ぬことである。情けないことに現代人は土地を汚して死んでゆくばかりである。地域自給の覚悟を深く持つことである。子供が大切なら、この土地を良くすることしかない。自分だけは、子供だけは、安全なものをと言っても、すべての食べ物は放射能で汚染されている。東京都の焼却灰から出た。放射能の高さを見れば明らかである。福島原発以前も放射能汚染はあったし、今より高かったこともあったと判断することが科学的である。免疫力を高める生活をする。発酵食品を出来る限り食べる。新鮮な緑色野菜を多く取る。くよくよせず、免疫力を上げる努力をする。
昨日の自給作業:コロガシ1時間 累計時間:11時間