67回水彩連盟展・開催中

   

新国立美術館での水彩連盟展が始まった。水彩画の見本市会場のようだ。不思議な光景なのだが、これが公募展という特殊な絵の展示だ。フランスでもこういう公募展に似たようなものが、30年前には3つあった。サロンと呼ばれるものだが、日本では、その規模のものが、300以上ある。絵画人口が、100倍と言う事になる。絵の具や画材の市場も100倍なのだろう。パリが芸術の都とか呼ばれていたが、画廊の数は50くらいの感じだった。画材屋の数は10軒くらいだったと思う。ともかく日本の絵の世界とは様子が違っていた。パリではグランパレという、サロンの展覧会が開かれていた会場が、無くなったと聞いた。グランパレは、絵だけでなく、様々な催しが開かれていた。パリ万博会場だった所だとおもう。そこに臨時の壁面を設置して、会場にするから、あまり良い環境ではなかった。鳩が巣食っていて、糞が落ちてくるような場所だった。

会場の新国立美術館はすばらしい。立派なものだ。水彩連盟は、会場の広さが他所の会の半分しかない。このために、絵は二段掛けと言う事になる。隣の絵とくつくくらいに飾る。上の絵は、随分高い所に飾られることになる。ガラスがあるとほとんど見えない。ガラスが無くても、高くてよく見えない。ゆっくり絵を見てもらう会場にはならない。その上に、折角応募してくれたにもかかわらず、選外になって飾ることのない作品の方が多い。何故、上野から新国立に移る際に、他所の会のように広い会場に出来なかったのか。今更ながら、残念だ。そのために特別委員会を作ったはずだった。毎月集まるなど言っていたが、何を活動していたのだろう。今回は前回に較べて、部屋の区切りを狭くして、壁を増やして、沢山飾れるようにした。それも方策ではあるが、いよいよ絵を見てもらうには、良くない環境に成った。

肝心の絵の方はどうだったか。一般の出品者の水準が高くなっている。なかなかの絵がある。かなり絵を描いてきた人の初出品が増えた。水彩画のいいものが何点かあった。水彩連盟にもかかわらず、水彩画は少数派なのだ。水溶性絵の具を使えば何でもあり、と言う事になっていて、ダンボールが張ってあったり、布が張ってあったり、メジュームでガリガリに盛り上げてあったりで、私の目から見ると、水彩画とはいえないものが、多数派なのだ。内部改革としては、水彩連盟の方向として、水彩とは何か。何処を目指すのか。これは考えてゆく時期だろう。アクリル絵の具を使う人がかなりいる。必要に応じて使うこともあるだろうが、あくまで水彩画の範疇で使ってもらいたいものだ。油絵と一見見えるような使い方なら、油絵中心の公募展に出したほうが、相応しいだろう。

絵は技術的な部分が少ないから、表現すべきものがあれば、初心でも、充分表わす事ができる。表現すべき内容が無くなれば、後は自分の模倣を続けることになる。水彩連盟賞を受賞した作品は、岐阜の人だった。ナイルパーチを描いているようだ。それは、たまたま初出品の人と話したら、その人の絵は、ナイルパーチを描いたというのだ。その絵は印象に残っていたので、なるほどと思うところがあった。その魚の姿が、連盟賞のものと同じだ。絵の社会での意味合いの話になった。愛知の左右木商博氏は毎年社会問題を直接的に描く。守屋事務次官が描かれていた。ナイルパーチの意味合いが、伝わるのかどうか。その人は、伝達というより、内部的なものとしての、絵の意味が大きいといわれていた。私は今回の出品作「ダイダイ」にそうした全てを、表現しようとした。描いてあれば伝わる人には伝わると、そう思っているのだがどうだったのだろうか。

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