自給1000円
社民党は時給1000円を公約している。連合と政策協定をしている。実に腹立たしい。農業をする立場で言えば、何と言うひどい政策を主張するのかと思う。古臭い労働者の権利主張のしがみついている尻尾が、見えている。以前、この考え方で福祉作業所で働くものまで、最低賃金制度を当てはめ、搾取だと言うとんでもない捜査が行われた。どう考えても不愉快極まりない。それでも、社民党支持者として、この自己矛盾には悩む。雇用労働者と企業資本家という2分法の定義が、時代の経済にあわなくなっている。農業分野では季節雇用が必要な場合がある。小田原のような地域の小さな農家でも、手伝ってもらいたいことはある。仕事がなかなかない人も要る。その人を安く頼めるなら、仕事はある。しかし、1000円で継続して雇用できる農家は少ないだろう。無いとは言わない。農家の中でも格差は広がっているのだ。
本気で農業をやろうという者が、頑張れば道がある状態を作るのが政治であろう。農家が経営を可能にするためには、安い賃金の雇用の実現が必要である。確かに時限的な処置として農業法人などが、雇用する事に補助金が出ている。と言う事はいよいよ、小さな農家は追い込まれる。農家が雇用する場合はどんな場合であれ、一定の基準で補助をすべきだ。こう言う補助をもっと厚くしなければ農業の継続は出来ない。小さな農業こそ、日本農業の特徴であり、力量である。ここで生れるものは、経済だけでなく、教育であり人材育成である。国は本当にやろうと言う農家を支えなければならない。大きいとか、小さいとか言う事で差別が起きるのはよくない。農家の個別補償のように一律な補償も良くない。いい加減な農家を生き残らせるばかりである。
社民党のお題目である。「平和憲法を守る。」このことと日本の農業を再生する事は、同じである。同じと言う意味がなかなか伝わらないようだが、農業ほど平和の基礎である。平和産業である。社民党が工場労働者にだけ目を向けて、階級政党から脱皮できないなら、そろそろ見限らなければならない。共産党はその点脱皮などする気も無いようだ。その場合、平和党の設立である。国粋主義者から、大資本家から、小さな百姓から、無政府主義者から、保守党の政治家まで、平和憲法に賛同する人間は沢山居る。平和憲法の一点で平和勢力の結集が必要である。今までそのことを社民党に任せてきたことの、限界が見えてきた。社民党が与党に入ってまで、1000円の最低賃金を主張するのでは、支持を続けることはさすが出来ない。沖縄の基地を海外移転をだけ言うなら許せる。あらゆる分野に平和憲法の価値を認める人間は存在する。その連帯をはかるためには平和党での結集である。
農業を自給という観点で見ること自体が間違っているのだろう。本来、誰もが自分が食べる物は作ったほうがいいのである。その個々人がやった方がいいことを農業者にお願いするのである。この構図は忘れて欲しくない。誰もがお医者さんお世話になるときを考えて、一定の待遇が維持されている。農業者はそれに較べてひどい冷遇である。その原因は農業者が資産家として、土地成金のようになった一部の者から来る、誤解である。資産家としての農家は3代相続すれば無くなる。もう一息である。本当に営農する人間を守らなければならない緊急事態である。営農するものがいないのである。雇用しながら後継を作ろうにも、1000円では無理だ。1ha水田耕作して、戸別補償をもらって、年収は60万円と計算されている。1haでも大変だと思うが、個人の限界は5ヘクタールとして、季節的雇用は必要である。300万円の収入でどうして、1000円の労働者を雇えるか。
昨日の自給作業:麦の脱穀1時間転がし2時間 累計30時間