田んぼの雑草抑制
田んぼでは、雑草を抑えると言う事は、とても重要な技術である。除草剤で行なわないとすれば、体力でやりきる以外にない。どうすれば草が減るか、このことは日本人がすべからく挑戦してきた技術である。そこに様々な農法が生れ、そして消え。今の除草剤を使う農法に集約された。これを間違っていたとはとても言えない。一度草取りをしてみれば、除草剤を使うななど、とても言えなくなる。体力だけで、草取りを乗り切るとしたら、1へクタールぐらいが限界であろう。そこで、どうすれば雑草が抑制できるか、今の今も挑戦が続いている。この挑戦は、100年前も1000年前も、行なってきた事である。最近の研究では、縄文期の稲作は焼畑の稲作で、東南アジア系の技術である。作られていたのも今のお米ではなく、熱帯系のジャポニカ種。紀元前4世紀になって、今の華北型の水田灌漑稲作が入ってくる。温帯系のジャポニカ種。
最新技術として、2500年前に日本に伝わり、鎌倉時代には人が耕作では入れなかった。広がる平野部の湿地の新田開発が広がってゆく。そして、江戸時代が日本の水田稲作技術の熟成期となる。水利地縁共同体の形成。雑草抑制技術で、何故そんな歴史を考えるかと言えば、一繋がりを感じるからである。水土技術の世界である。例えば、深水管理をすれば、ヒエが抑えられるぐらいの事は、江戸時代知らない人は居なかったはずだ。深水管理など夢のような事だったのだ。そうした時代の条件の中抑草技術が展開される。最近言われるようになった。冬水田んぼによる雑草抑制。これが可能な条件も少ないと思う。棚田での抑草法と平野部ではは丸で違う。流し水管理の抑草を山間部で行なえば、田んぼが冷えてしまい、初期分結がとれない。裏作が必然だった時代では、菜の花抑草はありえない。前書きが長くなったが、まず、抑草法は時代時代によるが、ずーと縄文人まで繋がっている感覚があると言う事。
ことし、偶然にもいくつかの事に気付いた。ソバカス抑草は光をさえぎることが、大きな条件をしめている。田植え後、3日間家を空けた失敗で、そのことが確認できた。初期1週はなんとしても光の遮断が必要。2週目からはトロトロ層による抑草に変る。また、下の田んぼの特に中の田んぼとの境にコナギが大量に発芽している。これは、中の田んぼで苗代を行い、代かきをしていないため、水漏れが続き、この水漏れが、下の田んぼでのコナギの発芽を刺激したと推測できる。水入れが、雑草発芽のスタートとなる。苗代を行なった中の田んぼは雑草が少ない。これは、4月からの寒い時期2ヶ月間水が張られ、あまり草が出無い所へ、僅かに出ていたヒエなどが、深い代かきで埋め込まれてしまった。
上の田んぼでは直播の実験を行なった。これもまた、違った結果になった。下の田んぼほどではないが、コナギの発生がある。これは5月末に成って水を入れてと言う手順が、コナギの発芽を刺激したようである。とすると、水を入れるのは、春水田んぼに思い切ってしてしまうか。直前まで、コナギを刺激しない乾土方向で行くかである。これは天候にもかなり影響されるし、秋起こしをすれば春になってどうして、乾きにくい。今年この辺の感覚が少し分かった気がする。分かったのは、コロガシをしながら、ただただ考えて、感じていたからである。こう言うのは、足裏が感じる訳で、人間は考える足裏である。草を抑えると言う事と、収量を上げると言う気持ちのせめぎ合いでもある。今年は何故か、入水温度が確実に1度は高い。朝で16度あるので驚く。その為かと思うが、下の田んぼでは沸きがある。これも舟原では始めての事だ。初期成育は例年に無く良いようだ。
昨日の自給作業:コロガシ3時間、麦刈り3時間 累計時間:27時間