武士の家計簿

   

「武士の家計簿」磯田道史著(新潮新書)実に納得の行く本である。幸運にも入手した、克明な加賀藩の御算用者の家計簿を読み解く本である。資料に基づく江戸時代の実像が活写されている。いたる所あいずちを打ちながらの通読である。さっぱりした。江戸時代の事は誤解が浸透している。封建社会、男尊女卑、農民一揆、士農工商、そうした先入観を浸透したのは、明治政府の歴史教育である。私がそうしたことに気付いたのは、自給自足を行なってみての事である。私のような人間に、自給自足が一日1時間で可能である。どうも江戸時代の農民像が狂い始めた。それは子供の頃からの趣味があった。ランチュウとか、チャボとか江戸文化に触れてきて、江戸時代という物のイメージに、焦点があって行かないというぐあいだった。何故、ランチュウの改良に生涯を費やせたのか。碁石チャボの作出に熱中できたのか。よほどの暇人である。

磯田氏の神田の古本屋での段ボール一杯の古文書との出会いの幸運。他人事ながら読んで安堵してしまった。これが残されていたからこそ、江戸時代の加賀藩の下級武士の生活が見えてくる。下級武士といえば、会計係は卑しい仕事とされていた。御殿医という医師の職も卑しい仕事で、役名は大小姓というと我が家では伝わっていた。武家社会というのは武士道と言うか、武力が最も大切な身分制度で、金勘定を武士にはさせない感覚があった。上級武士の教育には、会計学はない。二宮尊徳もそうである。農民でありながら、財政再建に乗り出す。これは尊徳が特殊なのでなく、江戸時代では普通の事であったという。これは面白い見方だ。金勘定のような下賎な事に、武士が関わって精神が汚れる。鳩山家のような育ちである。しかし、これが災いすると言うか、武士の生活は常に借金生活であった。仕方ないから、頼母子講のような、無尽のようなもので、凌いでゆく。ここでも尊徳が現れる。

武士が農民からお金を借りる姿、これを体裁を整え、保証を確実にする制度。この工夫は商人や、尊徳の世界。この精神が新しい時代を作ってゆく。そしてそれが、海軍に繋がるという。海軍で重要な事は、計算だそうだ。数学。そもそも江戸時代の加賀藩の数学のレベルは世界レベルである。その世界レベルの数学を背景とした、御算用者の家計簿が残っていたのだ。ここには武士の家制度の本質まで覆してみせる、驚きがある。女性像の見直し。女性に与えられるお金の数々から、意外な尊重が見られる。また、実家との終生切れない、深いつながり。そう離縁。離婚も三行半ではない。現代以上の離婚社会。困窮する武家の生活実態。それでも体面だけは維持しなければならない武家社会。年貢を上げる領地との関係、封建制度とは違う領地の実態も浮かび上がる。

その家計簿やら手紙は明治維新を経過してゆく。明治政府の実像。明治に入っても政府は武士の禄だけは出していた。徐々に引く波のような形で、給与がなくなる。それでも何の障害もなく、給与の廃止が行なわれる。そして武家の商法。仕官。現代の日本人と少しも変らない、維新への他人事のような対応。江戸時代を見直す重要性。明治政府の作り上げた、貧困社会の先入観。これを作り上げたのは、江戸の封建社会を否定しなければならなかった、共産主義思想。上からも下からも実像を離れて言った江戸時代。今こそ、実像に迫る重要性が起きている。世界希な循環型社会を江戸時代は実現していた。稲作こそその思想を育んだ物である。土地を基盤に循環する社会。新しい循環を模索する現代こそ、ますます江戸時代の再検討が重要だと思う。

昨日の自給作業:お茶の台刈り6時間 累計時間:36時間

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