小田原の市民自治
舟原では時間雨量27ミリの強い雨が降っている。雨降って地かたまる。畑の準備は、今日の雨を目指して、進めていた。種蒔き、植え替え、収穫。今日の雨を予測して進めてきた。昼からは止むらしい。累計雨量では180ミリには成りそうだ。この時期としてはまとまった雨になった。小田原は今回の市長交替を契機に、何処まで市民が動き出せるか。市民自治を目指して、どこまで市民が変われるか。あしがら地域に住んで、20年を越えた。地域の暮らしを深める。このこと一点に進んできた。酒匂川を中心に、ひとつの生活圏を形成する。このことは、加藤憲一さんと出合った頃から、話していたことだ。彼はあしがらをトトロの森のようにイメージしていた。私はあしがら自給圏と言うような古臭い言葉で、考えていた。食の自給にとどまらず、教育の自給にまでいたる。総合的な自給圏構想を話した記憶がある。それは今でも変わらず、あしがら農の会の姿になり、ピースカフェの活動になった。
盛り上げなければならない反対運動も、幾つか経験した。しかし、反対の結果は、それが無く成るというだけだ。創り出す活動をしなければならないと、考えてきた。それでも、どうしてもやらないければならない、おかしな現実が登場する。嫌だ嫌だと思いながらも、反対の活動に入らざる得なくなる。そうした中でも、自分の暮してゆく形だけは、自給の姿に何処までも近づける。この原則だけは貫いてきたつもりだ。それは、これから考えて、学んでゆかなくてはならない、市民自治の原点だと思うからだ。食べ物の大半を輸入する国家が、何故危ういかといえば、それは生活の根底を失うと言う事にある。人間が生きるという基本に食糧の生産の姿がある。それを軸にした社会こそ、安定した社会となる。それは国単位というより、むしろ地域、流域圏という枠で、そうした食糧生産の循環が作られることが望ましい。
そのモデル地域といえるのが、酒匂川を取り囲むあしがら地域だ。ここに移り住んで以来、そのことをいつも頭においてきた。人間1人の食糧が、100坪の土地で生産することが出来るなら、あしがら地域には、30万人が丁度良い。などと考えてきた。だから人口の減少を、税収の減少からだけ見て、工業団地、企業誘致、宅地開発、人口増加策を模索するのは時代の方角の読み違えだと思う。この地域にくらす人々、一人一人が豊かな暮らして居るという実感は、経済だけではないだろう。庭にトマトを作り、このトマトが食卓を彩る豊かさは、金銭には換えがたいものだ。平和に暮らすと言う事の意味を、そうした暮らしの実感から育てる事。経済の合理性の追求では、押しなべて都会志向になる。1000メートルの高層ビルに暮せば合理性がある。庭など無駄なスペースと言う事になる。しかし、4人家族が、300坪の敷地に自給的に暮す。こうした暮らしが基本にならないだろうか。
市民自治を考える時に、暮らしの根がその土地に根づいていなければならない。この土地に暮らしがあってこその、市民自治だろう。今久野で里地里山協議会が進んでいる。この活動は、県と、市と、市民と、協働の活動を模索している。正直初めての経験で、何処まで踏み込んでいいのか戸惑いながらも、この活動の形こそ、この先重要な方式に成ると考えている。基礎に市民の独自の活動が複数存在すること。その活動が開かれた活動であること。行政は複数ある活動を、連携し、調整する。久野の里地里山事業は、市民と行政がかかわり方を学ぶ、よい機会だ。市民も行政も今までのやり方にこだわらず。久野の豊かな暮らしが、循環してゆくように、本気で取り組む必要があるだろう。小さくまとめない事。参加者を公募する事。この取り組みが、これからの地域のあり方の学習になるに違いないと思う。