暖房

   

日一日と寒くなってきた。緊張感が高まる。それでも小田原は恵まれている。まだジャガイモの葉は青々している。路地にまいてある。青物が、成長を続けている。トマトだって路地でまだ生きている。「百姓は片付け」と言うそうだ。私にはそれが出来ない。まだ生きている間に、片付けられないのだ。もちろんだらしないと言う事もあるが、このナス実るのだろうか。そう思うと、どうしても様子を見てしまう。今朝は霜が降りている気がする。サトイモの葉もいよいよ霜枯れるか。田んぼのレンゲも、寒さに葉を縮じませて、次第に葉を伸ばす。レンゲは難しい。今年は蒔くのを早めたが、やはり生育が悪い。田んぼにいれる養鶏場の床をいつのタイミングにすればいいか。思案のしどころだ。遅れて畑に撒いた、レンゲも発芽が悪い。寒さに向かう時期に蒔き、冬を越すような作物は丁度いいが難しい。

暖房を今年はコタツだけにしようと、思っている。まず、サンルームを作った。日が差せばここは暑いぐらいだ。寒くなったら、ここで仕事をしようと思っていたら、もうカヨ子さんが仕事場にしてしまった。先日見た吉田邸では、大きなアルミ製のサンルームがあった。随分古いもので、どうも戦前のものではないだろうか。だとすると、現存のものでは最古のアルミ温室かもしれない。輸入ものに違いない。ブーゲンビリアが咲き誇っていたが、荒れた温室で、咲く花というのは哀れだ。何故、木造にしなかったのだろう。やはりサンルームは木造がいい。アルミの冷たい感じは厭なものだ。2重のビニールハウスがある。2重に骨組みを重ねたハウスだ。この保温性はかなりのもので、昨年は暖房せずに、ランが越冬した。ただ、養鶏場のほうなので、今度このハウスも家の方に移すことにした。

今もそうだが、マナスル登山隊のような、いでたちで書いている。全然寒くない。実は、中原さんから教わった。モンベルの下着を着ているのだ。これは確かに暖かい。らくだの股引の類は、昔から愛用している。あれこれ、防寒下着の新しいタイプが出ているのはしっていたが、どれにしたらいいのか迷っていた。ともかく寒がりで厚着だ。夏でも当然長袖、靴下は3枚。そんな寒がりでも暖房は止めたいと思う。冷たいと言えば、手だけだ。手がかじかんでボードが打てない。ボード用手袋がほしい。下半身は机式のコタツだ。学習机に何枚も布切れが掛けてある。足はアンカだ。部屋を暖めるようなことは、子供の頃はなかった。それで当たり前だと思っていた。

防寒下着は高価なものだ。しかし、一冬使えば却って安く上がるはずだ。そう思っていたら、「厳冬の海で漁師が着る下着」と言うのが出ている。いい表現だ。使い捨てカイロ。この使い捨てがよくないと言うので、電気式カイロというのが、出たらしい。差込に差しておけば、繰り返し使える。しかしよく考えないと、何がいいかは実に難しい。先日の廃棄物会計講座では、ビニールは燃やすのが、節約だ。と言うのだ。どうせ助燃に灯油を使う。ビニールを燃やせば、灯油が節約できる。これが東京都などの、分別をしない行政の言い分だ。「リサイクル貧乏」と言う造語まである。本当の問題はごみの半分を占める、生ごみを焼却処分していることだ。生ごみが土に返されるようになれば、助然など不用になる。プラ類がリサイクルされるのは、資源の循環だ。何であれ、循環できないようなものは、使ってはならないのが、暮らしの基本だろう。

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