小澤市政の終焉表明
小澤氏は4期小田原市政を担当した。小澤氏が5期目はやらないと判断した。当然のことだ。それはどのような組織でも同じことだ。トップが交代しない組織は、成長がない。人を変えない限り、変わらないのは当たり前の事だ。変わらないくらいならいいが、普通は腐る。小澤市政16年はそれは苦しい年月だっただろう。時期も悪かった。小田原と言う古い器に、新しい酒を酌もうとはしたのだろう。小澤氏は時どき目にした、エッセイ風の小文からすると、随分文学志向の強い人だと思ってきた。小田原の風土が、文学者を育てるのは、確かなようだ。過去にも数々の文学者が育って、又暮したわけだが、今も文学は盛んだ。そういえば、今月のピースカフェは「俳句」特集だ。小澤氏にはこの16年の悲喜交々で深まったものを胸に、是非文学者として再出発してもらいたい。
小澤氏にも青雲の志があった。何故、市民から遠ざかり、痛い讒言には耳を貸さず。甘言を弄する者ばかりを周辺に置いたのか。それは、結局小田原の風土に負けたのだと思う。全てが小さく揃う町の井の中の蛙に成ってしまった。資質が文学者的で、論理的思考が苦手。例えば、城下町サミットを提唱した。視野の狭さを表わす、好例だ。小田原市民としてさすがに恥ずかしかった。唯一市長に手紙を書いた。世界から本当に来て、小田原を城下町として見て、どう思うだろう。姫路とか、金沢とか、松本とか言うなら、まだ判る。城下町と言う側面から小田原を見たら、評価は出来ない町。小田原のよさは城下町ではない。これからの日本の暮らしを、模索できる要素に満ちていることだ。「次の暮らしサミット」ならわかる。サミットは古いか。
小澤市長が最後っ屁のように、出発させた。その大切なお城の前の怪しげな、実用性が疑問視される「貝殻構造のホール」。そして、旧態依然とした、街中を更に疲弊させる「駅前再開発ビル」。裸の王様の周りの、ほんの一握りの人達は、素晴しい構想だと持ち上げて来たのだろう。自治会総連合の何がしとか。商連会長とか。文化連盟の会長とか。文学者小澤氏の資質から言って、この計画はどうも理解が出来なかった。白塗りの丸でお城の城下町ホールを作るので、今の時代におかしいだろう。これなら判るのだ。どうも、バランスが崩れた。
広域ごみ処理計画では、何と迷惑施設の検討に、市民を加えたらば、上手く行かないとまで、議会で明言した。ごみ処理計画に市民を加えなければ、駄目だと言うのが、県の考え方だ。環境省でもそう言っている。市民を利己的な視野の狭いものだと、決め付けている。古いタイプの文学者だ。否、市長だ。市民を加え、市民を変えてゆく。ここが大切なやり方だ。ごみは市民自治の学習に最適なテーマだ。
小澤市政16年の結果、20万都市で、絵画ギャラリーのない。日本唯一の町になった。それでも市展と言うものはある。一度見たことがあるが、絵を無理やり薄暗がりに掛けてある。パネルから絵がはみ出ている。絵が可哀想で、とてもああした環境に、自分の絵は飾れない。もし自給自足の暮らしの事をまとめることができて、更に時間が残されていれば、最後の仕事として、小田原に水彩画美術館を作りたいと思っている。