免疫の生命スーパーシステム

   

本屋さんで免疫学と見ると、つい買ってしまう。流行のようで、医学書の範囲でなく、一般書の平積みに置かれたりしているのだ。結果、読んで居る時はわかったようなのだが、理解出来ている訳ではない。いつも鳥インフルエンザの事が頭にあるから、「ウイルスの突然変異のメカニズム」を理解したいという、野望があるのだ。突然とつく位いで、そのメカニズムは学問的にも未解明。免疫学がそもそも、20世紀後半の学問で、今解明の速度が素晴しく速いらしい。やはり、免疫学というと多田富雄先生『免疫の意味論』といことになる。理解できたわけではないが、何か真実の学問を感じる。そういう感じが好きなだけかもしれない。先生は新作能の作家でもあり、詩人でもある。だから、分かり易くは心がけておられるようだが、哲学的思考が多く。同じ言葉でも、利用の幅が広いように感じる。

免疫を理解するには、健康というような狭い観点ではいけないと言う事。免疫はきわめて哲学的。スーパー生命システムと書かれている。新たな解の構造を書かれている。先端数学の解が、先端だから正しいかどうかが、すぐには専門家にもわからない。そんな難しさと、似てはいるが、非なるもの。人間解明の根源にいたろうとするような、深淵が広がり始めるのだ。言われる「ありよう」は理解できるのだが、余りに広がっていて、それが自分の日々の暮らしから出てくる生命観と、刷り合わせられないような感じになる。人間の解明はまだ入り口にある、今までの人類の哲学的蓄積が、ある意味証明されながら、新たな異なる上層に立つような感じだ。その何処までも、実用学でありながら、旧来の経験的な蓄積を裏切るような仕組みが、まさにスーパー生命システムの発想に在る。

エイズでも、鳥インフルエンザでも人間が引き起こした、病気だ。猿や鳥の体内で静かに調和をしていた、ウイルスを人間が無理やり引きづり出した。この辺にウイルスの変異の何かがある。新たなウイルスが免疫のワクに落ち着いて収まるには、それなりの時間がかかる。その時間が、免疫の仕組み。時間を短縮しようと言うのが、ワクチンのシステム。所が、ワクチンと免疫の関係には未解明がある。ここからは理解が十分でないので、書く能力がないが、ワクチンの是非などと言う事は、まだ誰にもわかっていないという事。インフルエンザには、ワクチン注射が有効である。そういう実証的データーがある。しかし、その方法も、100年と言う人間の生きる過程で、マイナスになるやも知れない。

鳥インフルエンザワクチンが次々に認可されている。しかし、使うべきでないとする学者の考えが、今のところ勝っている。使うべきでないと言う発想には、まだワクチンの性能が不充分だ。と言う根拠と、ワクチン使用による、清浄国認定除外の輸出入の利害も絡む。茨城の不正ワクチン使用疑惑、事件。はうやむやに終わったが、鶏からの人間への感染例が、大量に出た。こちらは確認がされた。その感染の姿が、又予想外の、鶏との接触が極めて薄い人まで、感染が広がっていた。人人の二次感染も考えられるようだ。何故か。不正ワクチン化されたらしいウイルスは、実害のない、弱毒タイプの株に基づいていた。こうした、無害のウイルスの感染と言う事は、人間は繰り返し体験していることではないだろうか。そうして、免疫の仕組みを強化してゆく。自然界に無数に存在するウイルスとのかかわりの濃度。この減少が、免疫システムの構築を弱めているのではないか

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