シベリアの抑留
親しく接した方に、4人のシベリア抑留体験のある方がいる。一人は最初に私に絵の事を教えてくれた。加藤嘉夫先生。私が、世田谷学園で教師をするきっかけになった。暗い地肌の抽象画を描かれていて、陶器で作った地雷のようなものを、油絵の画面に貼り付けていた。直接は言われなかったが、その絵がシベリアというか、戦争体験を語っていた。もう一人が、その世田谷学園の英語の教師だった。横井先生。極めて難解な方で、その難解さはシベリア抑留体験から、生まれたように思えた。そして、父の友人だった。榎並さん。清水建設で現場監督をされていたかただ。一番シベリア体験の本当の所を聞かせてくれた方だ。ドイツ兵の毅然とした、態度を高く評価し、日本人のロシア人に擦り寄る情けない態度を、いつも憤慨して話してくれた。それに引き換えロシア人の庶民の暖かさが格別だった事も。
そもそもロシアという国は許しがたい国家だ。戦勝国だからと言って、満州にいた、ロシアにいた訳ではない、日本兵を無理やりシベリアに抑留し、強制労働をさせた。こんな事が国際法上許される事なのだろうか。公式には民間人を含む65万人が抑留され、1割の6万人が死亡した、とされるが、200万人が抑留され、34万人が死亡したと言う事も言われる。帰還した人は47万人。捕虜には共産主義教育が、行われ、共産化したと見られる者を、日本人の管理に当らせた。その日本人のなかにはそのまま日本に帰れなくなった者も多いい。残るもう一人の抑留者は樺太から抑留された人だ。まだ、お元気で、ロシア人への怒りは強く。ご夫婦で樺太生まれではあるが、2度と行きたくないと言われている。ロシア人の行った暴虐行為について、色々話してくださった。
帝政ロシア時代からすでにあったラーゲリ(一般強制労働収容所)に送られた。その内容はソルジェニーツインの「収容所群島」に詳しい。元シベリア抑留者、政府に激怒 遅れる慰労品、書状突き返す。戦後のシベリア抑留者や海外引き揚げ者を対象にした総務省所管の「特別記念事業」に批判の声があがっている。旅行券や銀杯などの「慰労品」を贈る事業だが、春に申請してもまだ品物が届かない事例が少なくなく、やっと届いても同封されるカードに安倍首相の名前も交付の日付もない。「あまりに誠意がなさすぎる」と元抑留者たちが22日、官邸にカードを突き返した。 国際法上は捕虜が労働を課された場合は、所属国日本政府が賃金を払わなくてはならない。しかし、最高裁で日本政府の補償は否定される。シベリア抑留の法的な処理が、どこに責任の所在があるかが、不明瞭なのだ。最高裁の判断では、日本政府には補償の義務はないという。
シベリアに抑留された人に対する、国家の道義的な責任も無いと言えようか。もし、ロシア政府が、賠償としての労働だとするなら、個人がその責務を負うので無く日本政府が、負うべきものであろう。こうした背景があり、様々な形で踏みにじられてきた、シベリア抑留者に対し、無神経な「慰労品」を贈る事業が行われている。
シベリア抑留歌人宮城県栗原市栗駒在住の歌人千葉徹夫氏
「 敗れたたる国の兵なり言挙げず吹雪の中に樹を切りつづく」 徹夫