食農教育

   

昨夜は、無理を言って夜に「食農教育」の阿部さんに来ていただいた。夜わざわざは申し訳なかったのだが、昼が時間がとれず、そういうことになってしまった。カメラマンの方にも、遅くまで、申し訳なかった。写真を撮りに来ると言うのに、夜で、機材が多くなり、大変だったと思う。

農文協という出版社がある。ここの出している「現代農業」が自分にとって、長い間、福音のようなものであった。自分が何をしたいのか、何に向かっているのか、何者なのか、皆目わからず、悶々とした気持ちで、東京に暮していた。現代農業を手にとって、ホッとした。その頃は当然現代農業に記事を書く事になるとは夢にも思わず、読んでその気になって、息をつくという状態だった。

農的な生活に憧れると言う気持ちが、徐々に育っていった。絵を描いてゆくという中で、一体描くべき内容はどこにあるのか。このことに行き詰っていた。農的な暮らしと言うか、反文明的な暮らしに活路を見つけられるのではないかと言う気持ちが起こってきた。それがその後、自給自足の実験生活になった。

昨夜の取材は、手作り孵化器の撮影だ。このブログにもその記事は載せたが、小学生が、費用をかけず、簡単に手に入る材料で、工作できる。そんな孵化器を作ったのだ。この孵化器は正直自分でも驚くほどの性能があり、市販されている孵化器より孵化率がいいほどだ。実際その記事から孵化を試みて、成功したと言う手紙を貰って嬉しかった。

これは私自身が子供の頃、やったことの再現だ。卵を温めるとヒヨコになる。このの神秘から、鶏にのめりこんだ。小学校の飼育係から、科学の道に進んだ人は少なくないと思う。それが、鳥インフルエンザ以来すっかり下火になった。その騒動の直後、食農教育では手作り孵化器を掲載すると言うので、さすがだと思ったのだ。消えかかった火を絶やしてはいけないと、頑張っている人は、いる。

小学校の家畜飼育は、本格的に教育として行う価値のあることだ。鶏を飼って見る。このことから、広がる世界、哲学、は教育そのものだ。但し現在の学校に、その指導が出来る教員がどの位居るだろうか。だからこそ、地域に学校を開き、地域の人材を生かすべきだ。

以前地元の久野小学校の教員に学校田のことで、話しをしたことがある。このことの意義と、今後の広がりについて話した。するとその教員は「何で私がそんなことをしなければならないのでしょう。」こう拒絶した。やらないでもすむ事を、何でやらなければならないのか。驚いたようだった。学校田とか、家畜飼育が余分なことと考えられている。興味のある教員が居るなら、やったら言いと言う、レベルで捉えられているからこういうことになる。

まぁー、学校の世界も、カネにならないことはやりたくない。こんな感覚を感じた。教育にかかわると、「きれいごとと、金。」はいつも臭う。
農文協には、そうじゃない空気がある。だから、農文協に頼まれたことは、できる限り協力することにしている。

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