在宅勤務は定着するか。

   


 
 石垣島は6月11日に梅雨明けになった。気象庁よりも一日早く私は梅雨明けを宣言した。例年のことだが、この梅雨明け宣言が少し遅れるのは気象庁の安全策だ。石垣島は徐々に観光客が戻ってきている。マスクもさすがにしている人は減ってきた。マスクをして夏の石垣島を歩くことは無理である。

 それでもマスクをしろと言う行政の指導車は島を巡り歩いて注意喚起している。何故こうも非科学的な対応なのだろう。行政は学校を休みにしたり、島への渡航を禁止したりした。島には感染者が多数存在するとしていた。これが結果的には間違いであった。間違って島民に恐怖を与えていた行政指導の責任を感じているのだろうか。

 日本全体で在宅勤務の実証実験が否応なく行われた。テレワーク体験者の70%が継続して欲しいと言っているそうだ。東京では企業の51%が在宅勤務を行ったという。国全体では26%が行ったという。石垣島ではテレワークはさすがになかっただろう。

  テレワークを歓迎していた人の意見で多かったのが、「通勤がなくなってストレスが減った」である。往復3時間分もの通勤時間がなくなり、その時間を仕事や余暇にあてられて快適だったという。通勤の過酷さは日本社会の大きな損出だったということになる。

 最近の日本は変化が出来ない状態になっているので、この在宅勤務も揺り戻されて、元の木阿弥になる可能性が高い。どうやってせっかくのテレワーク体制を続けるかである。一度在宅勤務の有利さを認識した企業も無いとは言えない。そうした企業が次の時代の企業になるはずなので、良い手本を示してほしいものだ。

 IT機器は使えば使うほど成れる。そして一度成れてしまえば手放せないほど便利である。日本の社会が新しいものに抵抗感が強かっただけだと思う。日本人の気分の中に変わりたくないというものがある。たぶん未来に対する不安が支配しているのだろう。下り坂の老人社会とはそういうものだ。じいさん子は3文安いという奴である。

 コロナウイルスは日本のそのままでいたい意識を無理矢理変えてくれるかもしれない。もし、コロナで在宅勤務が普通になったというようなことになれば、災い転じて福となす。原発事故でも脱原発が出来なかった日本である。どうなるだろうか。

 日本のおつとめは、休ま無いことが一番評価をされる。遅れず休まず働かずと公務員が揶揄された時代があった。勤務時間には職場にいることが何より重要になる。仕事が成果主義になっていないから、もたれ合いでいい。何とか終身雇用の中でつつがなくやるのが、おつとめである。これは日本の根強い伝統的意識である。

 それでも猛烈社員は存在して、戦後の経済成長が成し遂げられた。その結果会社に忠誠を誓うような生き方が奨励されることになった。モーレツ社員は「24時間働けますか。」と言うことになる。ところがもうそんなことは馬鹿馬鹿しいという世代交代になっている。

 その結果日本の生産性はOECD国中最低の状態になっている。気付かないうちに日本は最低の国になっているのだ。アメリカやドイツなどに比べると、半分の生産性なのだ。つまり日本人が2時間働いてもドイツ人の1時間にしか当たらない。これでは働けども働けども、楽は出来ないのは当たり前だ。この非常事態に日本人はまだ気付いていない。

 このとんでもない後進国化した日本を感染症が襲ったが、先進国では深刻化した病気が意外にも後進国化した日本ではそれほどでもなかった。コロナは先進国病だったのだろうか。まだファクターXは解明されていない。麻生氏によると民度の高さだそうだが、民度が高いから生産性が先進国の半分になっていると言うことになる。さすがにそんなことはないはずだ。

 日本の仕事の仕方にテレワーク化が進まなかった理由がある。仕事が成果主義になっていない。一人一人の達成目標が決められていない。さらに仕事がIT化されていなかったことがある。クラウド化されていないために、どこからも安全に会社内の情報にアクセスすることが出来ない。

 終身雇用制のもたれ合い勤務のため、明確な成果主義はまずい。ITに疎い上司がいれば、在宅勤務に立ち塞がる。人間関係が重視される中では、困ることになる。これは日本人の伝統的なものなのかもしれない。よく作用すると、戦後の経済成長期のように、集団としての力を発揮することになる。個人より集団の力が重視されてきた。

 しかし、新型コロナウイルス感染拡大を機に普及した在宅勤務の定着に向けて、企業が制度の見直しに動き始めている。うまくこの機会を利用できた企業が必ず次の時代で優位に立つはずだ。日本の生産性の改善運動がかつて成功したように、企業の在宅勤務の見直しが出来るかのどうかである。

 資生堂や富士通が業務の成果で評価する人事制度に本格的に移行すると書いてある。在宅勤務に限定した社員の採用を始める企業も出てきた。在宅勤務の広がりで、出社して働いた時間を前提とする日本型の雇用制度が変わり始めた可能性がある。一日のやるべき仕事が決められる。希望の光が見える。

 国内企業の多くは労働法制の制約もあり労働時間に応じて賃金を支払う仕組みが長く定着していた。しかし、会社でない場所で働く社員を時間で管理するのが難しく、労働基準法で定められた残業代支払いに抵触するかもしれない。社員の職務を明示して、その達成度合いなどをみる雇用の導入を進める。

 結局の所テレワークを取り入れて、成功する企業が実際に表われることが必要だろう。テレワークで良い人材が集まり、企業が成長する。その実例が表われれば、企業は競争主義だから、一気に変わる可能性がある。テレワーク勤務で有能な人材を他社から引き抜ける。

 若い人の半分が東京を離れる選択を考えているという。これは日本にとって、すごい可能性が出てきたと言うことだろう。何でも都会志向の一辺倒がやっと崩れ始めたのだ。もし石垣島で企業に勤務し、テレワークが出来るとしたら、その人材は独特の発想が生まれるかもしれない。月一回ぐらい会社に行くのなら、問題なくどこからでも通える。そうか私は小田原の田んぼへ通っているようなものだ。

 次の時代は在宅勤務の可能な時代にならなければならない。それが地方の維持になり、日本の多様性にもなる。人口減少を乗り切るためにも重要な要素になる。テレワークが成功すれば、日本は又元気になるの可能性が出てきた。企業自体が地方に分散する選択も出てくるだろう。

 企業の地方分散が成功すれば、日本も多様な文化を生み出す可能性が高まる。日本は小さな国とは言え、気候風土は実に多様で豊かである。すばらしい環境が豊かな暮らしを生み出してくれるはずである。地方の豊かな暮らしが仕事に良い影響を与えるようになるだろう。これは感染症に時代の安全保障でもある。

 地方の社会にも、若い有能な企業の人達が暮らすようになり、地方社会に子供達が加れば、地域社会も活性化するに違いない。これはどう考えても日本の再生の機会だ。原発事故で、再生エネルギー化することは逃してしまったに。今度はコロナで在宅勤務である。なんとしてもこれを生かしてもらいたい。

 その第一歩は日本が遅れてしまったと言うことを直視することからだ。直視すれば、変えなければならないと言うことに気付くはずだ。気付けば充分に間に合う。変えると言うことには痛みを伴うが、やる以外に日本に未来はない。

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