与那国島でお米がなくなる。
与那国島の耕作されない田んぼ。4月に行ったときに何故作付けしないのかと思って撮影した。こんな田んぼの跡地が実に多かった。寂しい風景だった。与那国島は風光明媚な島だが、田んぼが荒れれば見る影もなくなる。
JAおきなわ与那国支店によると水稲はことし、前年比で作付面積、収穫量ともに7割減まで落ち込む見込み。19年作付面積は21㌶で収量33㌧。20年は5㌶で10㌧を予定しており、面積76%減、収量70%減の計算になる。同支店水稲生産部会には7人加盟しているが、実際に活動している農家は4人という。
作付け減は大口農家の離農が原因で、農家の高齢化と後継者不足が課題に。また、同町ではかんがい排水施設整備が不十分なため、圃田管理が天候に左右される状況から離農が進んだとも言われている。「20年前には年間650㌧ほどの収穫があった。現在は10㌶にも満たない」ーーー八重山毎日新聞
この田んぼも作付けをしない状態だった。こんな感じで田んぼにすぐにでも出来るところが、作付けしない状態である。見ていてやりたくなるぐらいだった。与那国島の田んぼは意外に条件が良い。たぶん、八重山諸島の中では一番条件の良い田んぼがあると思われる。
20年前には650トンの収量があったと言うことは1万人の人が自給できる田んぼがあったと言うことだ。与那国島には生産性の高い良い田んぼがある。最近まで120ヘクタールの水田があったそうだ。ところが現在の耕作面積は30ヘクタール。それがさらに、ことし5ヘクタールまで減少するという。
与那国島に行ったのはこの田んぼの現状が見たいというのが主目的であった。120ヘクタールの田んぼがあると言うことは、1万2千人の人が自給できる可能性のある島である。残念なことに今年ついにその大半が放棄されてしまったのだ。残るは5ヘクタールとなってしまった。
与那国島は人口1700人。1500人を切っていたのだが。自衛隊が来てから1700人を超えた。しかし、その後は徐々に減少を始めている。自衛隊関係者は300人ぐらいはいるのだろうか。このまま行くと、与那国島は自衛隊と与那国馬の島になるのではないだろうか。そうならないためには、田んぼをやる新規農業者を受け入るいがいにない。10人の新稲作農家が食べて行ける条件がある。
田んぼは比較的最近放棄が進んだようだ。もう少し前に放棄されたような田んぼも、荒れ果てたという所までにはなっていないように見えた。まだすぐにでも出来そうな畦の形が残っている田んぼが沢山あった。この面積が30ヘクタールと言うことなのだろう。石垣島でも、宮古島でも農地が放棄されているという様子はほとんどない。
ところが与那国島では田んぼの耕作放棄地が増えている。島が寂しい空気なのは田んぼが放棄されたからだ。主たる原因は観光が産業として成立していないからではないか。そこに自衛隊など誘致したのだから、衰退に拍車が掛かるのもむりはない。
直接たんぼをやられている地元の4人の農家のお一人の方に、偶然お話を伺うことができた。後継者がいないので、放棄地が増えていると言われていた。高等学校がないと言うことは若い人が出て行くことになっている。子供の進学の機会に家族全体で出て行くことにもなると言われていた。
同じ話を、石垣におられる知り合いで与那国出身の方2人からも聞いた。その方はまさにそういう形で、石垣に移り住んだのだそうだ。高校がないとダメだ。これを繰返し言われていた。自衛隊基地を受け入れれば、高校が出来るという話があったのだそうだ。とんでもないデマだ。
与那国島の田んぼは見たところでは石垣島よりも、西表島よりも条件が良い。島には中央部に200メートルほどの山がある。海岸線に丘陵があり内陸部が窪地になっている。その窪地には山からの川が流れていて、田んぼが可能なのだ。だから風がかなり防げる。問題は排水が難しいと言うことはあるかもしれない地形であった。
土壌は琉球石灰岩ではあるが、赤土も充分にあり、代掻きをした田んぼでは簡単には水は抜けていない。雨が降れば元の田んぼだった場所はすぐ水たまりができている。植物は旺盛だから、腐植も充分ある。風さえ防げればそれなりの収穫が見込める。住む家さえあれば、新規就農者の誘致が出来る。広げようと思えば、100ヘクタールもの耕作放棄された田んぼがあるのだ。排水路の問題があるらしいが、交錯するとなれば、改善はそう難しいというほどでは無いと思われる。
農業新規就農者のIターンやUターンを受け入れる環境づくりの一環として、与那国町が農林水産新規就業者用定住型住宅確保事業を進めている。今年度は同町祖納地区に1棟3戸の住宅を整備する。工期は7月18日から来年1月13日まで。来年度4月の供用開始を目指す。ーーー八重山毎日新聞
与那国島の人達に外部からの新規就農を受け入れる覚悟があるかどうかだろうか。考えて貰いたいことは田んぼがなくなると言うことはふるさとの風景がなくなると言うことだ。日本人はお米というものと密接に結びついた民族なのだ。田んぼがなくなることは心のよりどころが失われるような喪失が起こる。全国の田んぼを見てきて、つくづく思うことだ。
西表島を見て思ったのだが、亜熱帯の自然に飲み込まれて行く。立ち入れないようなジャングルになってしまい恐ろしいことになる。そうなってしまえば、ふるさとの風景ではなくなる。自然遺産の島ならばそれもあるかもしれないが、暮らしのある島としては消滅の危機を感じて暮らすことになる。
沖縄本島は田んぼが失われた。たぶんもう昔には戻れないだろうとおもう。日本との距離は随分広がってしまった。沖縄本島だけではない。日本が失われて行く過疎地が沢山ある。本島の風景はどこか乾燥気味になっている。田んぼのない日本はあり得ないと思う。人間は風景の中で生きている。風景の中で育つ。田んぼが日本の環境を作った。あの美しい与那国島の風景は田んぼがあってこそだ。
もし与那国島に田んぼがなくなってしまえば、取り戻すことは極めて難しいことになる。どうしても、なんとしても与那国島の1700人の人が食べるお米だけは作らない。お米が自給できなければ与那国島ではなくなってしまう。このことを深く考えて貰いたい。与那国島には潜在的に素晴らしいものがある。どうしても後15ヘクタールの田んぼが必要である。10人の稲作農家の誘致である。
与那国島はすばらしい景観がまず第1だろう。その自然景観に田んぼの風景を育てていかなければならない。日本のふるさとの景観には田んぼは不可欠なものだと言う島に暮らす人達に共通な意識を持ってもらう必要がある。家に関してはここを貸してくれれば、直して暮らせるとみた場所は数件あった。それが又魅力的な場所なので、私がもう少し若ければ行きたいくらいだった。もちろん祖内街にすんで、田んぼまでの距離は遠くはない。
次にあるのが、台湾との距離の近さだ。この国境の島というものが将来必ず魅力的なものになるはずだ。台湾は愛情の深い国だ。台湾の良い影響を受けることで、与那国の観光は道が開けるのではないだろうか。台湾は食文化が深い。石垣牛のような美味しい名物を作ることではなかろうか。
台湾との関係を生かした観光業の創出である。観光客を受けいる条件を模索する。温泉は出ないのだろうか。自衛隊よりは星野リゾートの方がいいだろう。密貿易の女王ナツコ村を作るのがいいかと私は思っている。そうすれば、80軒もの夜の街が立ち並んだ時代が又来る。
つまり、台湾との関税のない特例村。消費税のない治外法権地域に指定する。与那国島島内消費には消費税がない。自衛隊を受け入れた防人の島の見返りである。国境の村を育てるという意味で国民の納得も行くだろう。
先ずは人口増加策である。新規就農者を受け入れればいい。条件は恵まれている。行きたいと考える人は必ずいるはずだ。行きたい人がいたら、与那国島役場に相談したらいい。もし、難しそうなら私が案内をしてあげたいくらいだ。こう言うときに歳をとったことを残念に思う。
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石垣島