柴咲コウ さんの種苗法改正反対の意味。

   



 柴咲コウさんという女優の方が、種苗法の改正反対を表明してそれが発端になり、今国会での種苗法改正案を取り下げることになった。と報道されている。そんな気はしないのだが、やはり有名な女優さんの意見が世の中を動かすという時代の変化をあえて言いたいと言うことなのだろう。

 以前も農の会に是非とも種苗法の問題点を話したいという方が、定例会にみえた。大変なことだから是非話したいと言うことだった。初対面の外国人の牧師の方だったように覚えている。とても真剣な態度で心配でたまらないという感じだった。

 この種苗法ができると有機農家が自家採種できなくなると言われた。一体どうしてそんな話になるのか分からないので、改正法にそって具体的にその理由を説明してくださいとお願いした。ところがその方も説明に見えたにもかかわらず、よく分かっていないので、残念ながら説明はできないというのだった。こんな感じで種苗法の改正案は自家採種ができなくなると言う理由が不明確のまま、世間に広がっていった。

 世界中が知的財産権を主張する時代になっている。種苗も特許権のような保護をかぶせようと言うことだ。私個人としては知的財産権など不要という考えであるから、私の作ったものを誰がどう利用しようと構わないという考えではある。しかし、世界の趨勢である知的財産権の尊重は日本も避けることはできないとも考えている。

 話が何故、農家の自家採種禁止になったのかが分からない。有機農家が昔からある品種を自家採種することとは、まったく別の話である。有機農家はむしろ自分の品種を作出するくらいの意欲がなければ行けないと考える。現在売られている種は多くが中国産である。中国産の種を使い続ける有機農家というのでは、有機農家と言えるのだろうか。

 もちろん、世界中の新品種を作出した人が、自由にお使いくださいというのであればそれがいいに決まっている。私はササドリと言う鶏の品種を作出した。ササドリで養鶏をしていた。だから新品種を作ることが、どれほど大変なことは分かっているつもりだ。

 ササドリは自家採種できる卵肉兼用種である。雛を購入しなければできない養鶏はまともではないと考えたからだ。フィリピンで農業支援をしている方が、雛が購入できないので養鶏が続かないと言われた。それなら昔のように雛を自分で孵化する養鶏を作り出すべきだと考えたのだ。

 それは誰にも使って貰いたかった。誰がどこでササドリで販売しても問題ないと考えていた。それはわたしが作出する意義を経営的なものとは考えていなかったからである。新品種は世界共有の財産と考えるからであった。雛を購入できない人でもできる養鶏である。

 ササドリの卵を孵化すればササドリになる。私の卵は有精卵である。それをかえしたのだと思われるササドリを、それなりに見るようになった。青山にある有機食品の専門店でササドリと言う名称で鶏肉が売られていたことがある。それで私はかまわなかった。みんなが利用してくれれば嬉しいことだとおもっていた。

 種苗法の改正案には賛否が分かれている。農家が不利益を被ると決めつける人と、このままでは海外に日本の優良品種が流出するという意見に割れているのだろう。実際にすでに優良な果樹の品種や和牛などが、不正流出は多発している。

 一方で農家が自分で種取りしたり、挿し木をしたりすることが禁止されたら、農家が企業から種苗を購入しなければならなくなるという意見がある。この点実際どうなるかはまだ分からない。分からないのだが、普通の品種でこの改正法ではそう言うようなことが起こるとは全く思えない。この作物の具体的範囲がどうども意見が分かれている。

 農家の実際から考えてみると、新しく登録された新品種はそもそもその地域のブランドになっている。それを勝手に他の地域で無断で栽培すると言うことの方が、問題になる。また、そうした登録品種が欲しくともブランド化した品種などは手に入れることは普通には出来ないで当たり前である。

 地域ブランドを作ることは各地域の農家にとって重要なことである。それがどこでもいいとなれば、無断で作る人が現われる。これは農家保護とか言う前に、人間としてこすっからいやり方にしか見えない。そんな人が保護される必要はない。

 今までの登録品種の多くは、国や都道府県の研究機関などが長い年月と多額の費用をかけて開発した知的財産である。今までは国が行ってきたために、その品種を農家が使うことはむしろ奨励される場合が多かった。余り権利を主張しなかった。

 ところが政府としてはこうした国などの公的機関がこうした、研究費用が必要な新種の作出のような事業から手を引こうとしている。そして、そうした新品種の作出を企業に任せようという考えである。そうなると、企業としては知的財産が守られなければ、新品種の作出などの努力をしないことになる。

 そこで登場したのが種苗法の改正案である。企業に種苗の作出を任せたいという考えである。現状としては今までの種苗を作出していた研究機関が研究費や人員が削減されている。そのために、企業とタイアップしたような研究以外はできなくなっている。そのように、研究者から直接伺ったことがある。

 種苗法改正案について、有機稲作の権威の稲葉さんが小田原に見えたときも講演の中で、種苗法が改正されると有機農家が自家採種できなくなると話されていた。そのときも何故改正案で、有機農家が自家採種できなくなるのかと、この法案からどうしてそう考えるのかが理解できなかった。

 質問をしたのだが明確な応えはなかった。そもそも有機農家が何故新しい登録新品種の自家採種をしなければならないのかが分からない。有機農家はむしろ伝統的品種を大切にして、F1品種などを作らないのが普通ではないのか。その意味では有機農家とは関係の薄い問題だと思えるのだが。

 種苗会社が新品種を作るためには大変な経費がかかっている。その品種を勝手に自家採種して利用されたのでは、企業としては困ることだろう。困るから企業は新品種の作出の努力をしないことになる。政府が登録制度を作り、そこで登録された品種に関しては、許可なく自家採種をして利用することが出来なくするのは当然のことではないだろうか。このことに反対すると言うことは、私と同じで、知的財産権を認めないという考えでいいのだろうか。例えば柴咲さんのCDはコピーが許されるのだろうか。そんなことはない。

 石垣市では和牛の登録のごまかしで問題が起きている。A号という優秀な雄牛の精液だと称して、他の雄牛の精液で種付けをしていたのだ。DNA鑑定で分かったのだ。A号という優秀な雄牛を作るためには大変な努力の結果である。その価値が評価されて、その精子は高値で取引される。それは正当な経済行為である。

 ところが、中国などで日本の優良系統の和牛の精子が秘密裏に流通している。そうして、和牛の優良系統が海外に出回ってしまっている現状がある。これでは和牛をブランドとして、育て上げた日本として維持していけないことになる。それこそ国際競争力がなくなる。

 この辺をどうして行くかは農業全体の課題だとおもっている。そして、何度も書くが、今回の法案が何故、有機農家が自家採種ができなくなると言う話になるのかが理解できない。もし分かる人がおられたら教えて貰いたいぐらいだ。

 米は84%は登録品種ではない。登録品種も、30年を過ぎれば一般品種になる。何故有機農業をするものが、新品種を作らなければならないかである。むしろ伝統的な在来種を作るべきだ。30年経過した安定したものでやるのが、有機農業だと思う。

 むしろこの問題の根源は農業の新品種の作出を企業依存しようと言う所にある。従来はお米の新品種は国の研究機関が作出してきた。しかし、政府はそうした研究を縮小している。そして、企業に任せようとしている。ここに問題があるのではないだろうか。民間が開発する発想は、甘みがある、柔らかい、濃厚、要するに消費者好みのものになりがちである。そうした品種は農薬を使わなければ作りにくい品種が多いということになる。

 政府の研究所が作出してきた、食料を安定的に提供するというような思想に基づいた品種はドンドン減少している。それは政府の方向とする農業が国際競争力のある農業という発想だからだ。この考えが間違えなのだ。

 食料を100%自給できない国が、国際競争力など考える必要はない。まず、国の基盤となる食糧自給のための品種の作出であろう。そうした品種の作出は企業では行われにくいものになる。国は農業総合研究所のような基礎研究を深く厚く行う組織をさらに育てる必要がある。


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