JAS有機の問題点
JAS有機農業基準は国の基準である。思想としての有機農業とは違うものだと思っている。あしがら農の会は有機JAS基準以上の農業を行ってきた。「地場・旬・自給」である。JAS基準というものはやってはいけないことが示されているに過ぎない。基準さえ守っていれば基準合格の農産物という事になる。この基準は消費者保護の為に決められたものである。消費者が騙されないように作られたものである。有機肥料を使っていれば、有機農業であるというようなまがい物の野菜が横行したことが、事の始まりであった。そしてこの基準は予想通り、有効に働かない結果となった。発想が待ちあっていたからだ。卵でいえば、JAS基準認定の卵はないと言えるのではないだろうか。しかし、家で鶏を飼えば有機基準に合致した卵は簡単に可能ではある。JAS基準に準じた農産物といっても、作りやすいものもあれば、困難なものもある。キューイは出来ても、みかんは難しい。野菜は季節で異なるし、同じキャベツでも可能な品種と、不可能な品種とがある。
有機農産物というものは全量の0.3%といわれていて、日本では20年一向に増加しない。20年も運用されて、一つも増えないことには理由がある。国はここを正確に分析して反省すべきだ。いまだ消費者が重視していない。消費者保護の為に作られたにもかかわらず、有機農産物のJAS基準を重視する消費者が増えないという事を考えてもらわなければならない。0.3%しかない農産物といっても、特定の種類の有機基準で作りやすい農産物に偏っているから、まずは売られていないだろうという有機野菜の種類もかなり多いい。ところが、有機農産物がそれほど高価にはならない。欲しい人がいて、量が少ないものなら値上がりするはずである。価格が高いものであれば、どれほど栽培困難な農産物でも生産することも可能になる。ところが、価格が安すぎて経営がいつまでも難しいというのが現状である。家庭菜園規模で自分で作るのであれば、価格はないから手をかけて作ることはできる。やはり家庭菜園が一番という事になる。自分が食べるためであれば、JAS有機農産物も生産可能なのだ。
問題は4つあると考えている。
1、消費者が有機農産物の価値をそれほど評価していない。価格さにそれが現れている。私は全国唯一といえる、有機基準に合致した卵を生産していたこともあったが、55円で販売していた。私自身がそれ以上の価格の卵は嫌だったからだが。自分が購入しないような価格の卵を販売する気はなかった。社会の何かがおかしいのだ。そのおかしさを直すために農業をやっていた訳ではない。自分が有機農産物を食べないにもかかわらず、有機農産物を販売する生産者では消費者の評価も得られることもないだろう。
2、有機農産物の良さが曖昧である。慣行農法の野菜が悪いという訳ではない。有機農産物は最高の農産物の方角を示している思想なのだ。思想に対して、国が基準で決めるようなことができるものではない。JAS基準というものが出来たがために、有機という思想がすっかり色あせてしまった。基準だけが独り歩きしている。なぜ有機なのかという思想は、繰り返し検証されなければならない。基準ではやってはいけない禁止事項だけが示されていて、やるべきことは何も書いてない。その結果や成果物である有機農産物では何の分析もされない。枯れかかった基準クリア―の野菜と、元気いっぱいの普通の野菜とどちらが人間の身体によいかは、人によって違うはずだ。冬にも有JAS機のトマトを食べたいでは、地域の農家を守ることはできない。
3、生産方法が確立されていない。生産者は手探り状態で有機野菜を生産している。家庭菜園レベルでは可能なことも、販売農家の生産規模では野菜では極めて難しいものもたくさんある。小さな農家であれば、その地域の土壌や気候に併せながら、生産方法を模索することは可能である。生産しながら学び研鑽している。大規模農家となると、結論の出た農法でなければ取り組むことは不可能である。特定の農産物に限られることになるだろう。
4、有機食品の問題よりも、加工食品の問題の方がはるかに大きい。外食や加工食品に含まれる、無限ともいえるような添加物の方が、人間の体に影響を与えている。購入するパンと家で炊くご飯とでは、パンの方が添加物の混入の可能性が高い。ここでの添加物の問題の方が、有機食品であるかどうかより現実的には大きな問題なのだ。外食や加工品に移行している食生活の中では、有機食品の問題は遥かに小さなことなのだ。
結局のところ、JAS有機基準が有機農家を育てられなかったのだ。むしろこの基準が有機農業の普及を妨げているのが現状だと考える。