外国からの視点

   

荒波の鳥 中盤全紙 浪のシリーズが5点ほどあり、そのひとつである。何故こういう絵をこの時描けたのかと思う。絵を描く事にもう一度という事はない。そのときそのときのことだ。

テレビ番組で、外国の人が日本を見てびっくりすることは何か。という番組を見た。世界の秘境の地で暮らしている日本人という放送も見た。日本人は海外の人からどう見られているかという事を、必要以上に気にする民族だと、昔から言われている。人を気遣う人間関係の中で、日本人の社会が出来て、日本人がいる。しかし、最近のテレビの外国人もびっくりの特徴は、日本がこんなに素晴らしいという方の特集が目立つという事だ。昔のこうした放送では、外国人に言われて初めて気が付く日本人の特異性であったと思う。むしろ日本人が世界から奇異の視線で見られている、異端民族であるという事を確認することで、日本人が分かるという精神が感じられた。所が、最近の放送は日本人も結構自信持っていいんだ。というような再評価の視点である。この心理的な背景には、日本人の自信喪失があるにちがいない。テレビを見て、慰められたい日本人。外国の人がテレビの雛段に並んで、日本をほめている姿は、何処か奇妙である。

民族固有の文化を通過して、人類共通の価値に至らなければならない。後半部分の視点を失いかかっている。良く言われる外国人もびっくり事例は、日本の固有文化を、どのように反映しているのだろうか。例えば、すぐ謝るというのは、日本人が部落という離れられない運命共同体の中に、長い間暮らしていた結果だろう。対立より、調和を重視して、善悪の判断の前に、どうやって事を荒立てないかを考えている。無宗教なのに、縁起をやたら担ぐという意見は面白い。日本人は、本当は無宗教ではない。ごく当たり前くらいのレベルで、宗教的である。信仰的である。普通に言えば縁起を担ぐ人達である。しかし、その宗教が原始宗教的な意味合いを残していて、キリスト教とかイスラム教のような、宗教学が成立するようなものではないだけである。パプアニューギニアの高地人を無宗教と言えないのと同じで、日本人は原住民的要素を残したまま、近代人に変貌した民族という事の一つの証拠ではないか。この事は特徴であり、誇れる事でもある。

世界で評価されている日本の絵画は、日本の文化に根差した絵画だ。例えば、宗達や北斎。棟方志功氏。世界各国に印象派風の絵画というものが存在するが、間違いなくフランス本家の印象派より見劣りする。黒田清輝の絵をモネと並べてみたらわかる。受け売りというものは、その場では一見新しいものに見えていても、時代や地域を越えて眺めると、やはり民族固有のものとは比較にもならない。所が、岸田劉生の油彩画は日本の油彩画になっている。日本の絵画は中国から始まる。真似るという事が上手いといわれるが、忽ちに中国絵画以上の日本人らしい絵画というものを作り上げている。中国への絵画留学生の雪舟が日本に戻り描いた、天橋立図は既に日本の風景を写生した物である。これは当時で言えば画期的なことだ。これが日本人の特徴ではないか。細やかな自然の観察力である。稲作を行う里山の暮らしの中で、そうした自然を本当に知っていると言えるような、特別の自然観察力を獲得する事になる。日本絵画の良さは、日本の自然の良さとも言える。

憲法9条を世界遺産にという運動が、一時注目された。憲法9条こそ、外国人もびっくりの事例第1である。日本人の固有の素晴らしさに根ざしている。日本人はそもそも喧嘩を嫌う平和主義者だった。署名運動の甲斐も無く、世界遺産にはならなかったが、日本に憲法9条という、特異な平和憲法があるという事が、いくらかでも世界にアピールできたという意味では、素晴らしい事だった。スイスが永世中立国だという、世界中からの認識を得るという事は、とても大切なことだ。同じく、日本が平和憲法の国であるという事を認識してもらえれば、一定の抑止力になる。まあ、解釈変更で外国にも軍隊を派遣できるなどとして、実態を変更させてしまう政府の国では、日本は何ともずるがしこい国という印象になってしまうだろうが。世界平和の為の努力を不断に行う。これが日本国憲法の精神ではないか。この点でこそ、是非外国人にびっくりしてもらいたい。

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