麦踏始まる

   

磯辺 10号M やはり夜の海。月がくだけちってゆく。

麦の会の麦踏が始まる。麦は1畝当たり、1キロの種が蒔かれている。畝の間隔は30センチである。全体で1反なのだが、3畝は電気柵ででつぶれている。畝の間隔は色々考え方があるようだが、30センチくらいが適当だと思っている。今年は、麦の播種が11月22日であった。発芽するまで8日で11月30日。その後2週間で2,5葉期と言う所か。雨は適度に降っている。例年播種して発芽は10日と思っている。少し早かった。生育は悪くないのだが、若干ひょろひょろしたひ弱な感じがある。そして、12月13日に麦踏を始める。種まきから3週間で麦踏。これも少し早い。麦踏みは何故行うのか。踏まれて強くなる雑草魂と言うか、なかなか面白い農作業である。実験的に、毎日通る部分に麦を撒いて、麦の上を通路にして実験してみた事がある。どれだけ麦踏効果があるかである。実は思っていたほどは効果はなかった。麦踏も、畑の状態によって一律の効果ではないようだ。この場合の効果と言うのは、麦踏で収量が上がったかという事である。分げつは増えたのか。茎は太くなったのか。

良く言われる効果は、茎が折れ曲がったり、傷がついたりして、水分を吸い上げる力が弱まり、麦の内部の水分量が少なくなるため、寒さや乾燥に強くなる。さらにエチレン効果と言う事もあり、折れ曲がった傷を治すためにがっしりした株になってゆくという事もある。上部の株を止めることで、根の成長や増加を促進するともされている。。また、霜柱が土を持ち上げて、根を傷めることを防ぐ効果もある。足で踏むことで浮き上がった土を押さえ、しっかり土に根を張らせ、まっすぐ伸びる丈夫な麦に育てることができる。確かにそれなりの効果はあると思われるが、それほど顕著な効果を感じた事はない。がっしりとした分げつを増やしたいという事が、一番の目的であり、わずかでも効果があるようならやってみたいという範囲である。麦踏は小田原ではさしたる意味が無いというのが今のところの判断である。昔なら倒伏防止と言う事もあるが、今の品種を、自然農法で作って、倒伏と言う事はめったにない。家の畑の麦は、先ず平らに耕して、そこに播種機で40センチ間隔で蒔く。麦の上を歩くように麦踏をすると、そのラインだけ、4,5センチへこむ。風が吹いて土寄せをしてくれる。

どちらかと言えば、麦は作業が少ないので、農閑期の農作業として、何かやる事でもないかという、気分を満たしてくれる作業なのではないかと思っている。麦踏はそれ程気持ちの良い作業である。ただ、無心に地面を押している。その単純作業が必要な農作業であるとすれば、言う事が無い。土を踏みしめ土と語り合う。寒い時期にかじかみながら、地団太を踏んで大地を味わう。徐々に暖まって来る心と体。他の農作業にはない身体が澄み切ってゆくような爽快感がある。心と体の麦踏養生の様な気になって来る。これが麦踏の一番の目的ではないだろうかとさえ思う。増収を期待するようなあさましい心でいるなら、麦踏は止めても同じである。麦は踏まれても踏まれても芽を増やしてゆく、と言うような言葉が聖書にあるらしい。と言う事は、麦踏は紀元前からあったのであろうか。一粒の麦と言うような言葉も聖書の言葉らしいから、やはり西欧では、麦が主食だったのだと思う。主食が信仰の意味を語る材料になるのは当然のことだろう。葡萄酒もキリスト教と関連する様だから、日本ではお米と日本酒に格別な意味があるのは自然だ。

麦の唄は色々あるが、最近では一度は聞いた事のあるものが、朝の連ドラの中島みゆきさんの麦の歌だろう。スコットランド民謡の麦畑の唄もある。私の記憶の奥には、麦踏ながらというまさに麦踏の唄もある。三橋道也さんの歌う麦の唄と言うものもどこか記憶にある。調べたら、これも麦踏坊主と言う子供の麦踏の歌だった。どちらも、藤垈の子供時代に役場の、スピーカーから聞こえてきたものではなかろうか。麦畑は山の段々畑である。段々畑を麦踏している姿と言うものは唄になるという事なのだろう。麦踏を普及したの権田愛三氏と言う事だ。日本でも暖かい地域では麦踏などしない。当然本家のヨーロッパでは麦踏など考えられない。明治初年に権田愛三という埼玉の人が、麦踏技術を普及したとある。埼玉当たりの霜柱のすごい地域の技術なのかもしれない。

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