インターネットの革新

   

インターネットは、携帯化の時代に入っているようだ。携帯電は一人1台の時代に入ったということある。携帯と言うのか、A4サイズのものがある。GPS機能があれば、行方不明にはならないだろう。耄碌してきているので現実の問題になってきている。自分だけは大丈夫と言うやつだ。何も拒絶している訳ではないが、どんどん変わりすぎてタイミングを逃している。時々説明を聞くのだが、まだよく理解が出来ていないでいる。A4で、電話にもなり、メールも出来て、インターネットが出来る。写真が写せ、記録が取れる。つまり、キーボードとつなげる。カーナビにもなる。出来れば防水機能がある。そう言うものを私は欲しい。実はこういう事をお店で聞けないのが困る。恥ずかしいからというより、舟原でも可能ですかと聞いてみても、「どうですかね、無理でしょうね。」先日、新しく出来たPCデポで言われて、それ以上聞けなかった。

ネットが北アフリカや中東て、政府の報道制限を越えて、革命にまで結びついたと言われている。情報と言うものが、社会を変えてゆく大きな要因であることは間違いがない。多様な雑多な情報から、自分で拾いだす方式。この良さが、インターネットにはある。天気予報でも情報を集めて自分なりに判断することが出来る。将棋の生中継と言うものがあるが、毎日に近く行われているほど増えた。視る人が居るから、増えたのだろう。有料タイプもあるが、無料のものもある。ブログでも、報道でも有料タイプもある。ホリエモンは有料タイプで何千万円も稼いでいると言っていた。要するに金儲けの情報源だろう。金儲け法も注目を集める。何が注目されるかが、判断基準の社会。ユーチューブで音楽が無料で、多分違法で流れる。この違法性のある情報の流れ方が、著作権社会の方を変えるだろう。

中国ではネット情報を国家が管理しようとしているらしいが、無理なことである。情報は抑えるほど何処かから沁み出て来る。アメリカではネット制限をする法律が、通らなかった。この事でソフトの開発が衰えるという意見が出ていたが、ネットは資本主義をも突き抜ける新しい価値を生み出していると思う。知的財産権とか言うようなものは、無くなる方がいいと考える。儲からないから、工夫しないというようなものは無くなっていいものだ。損得だけで人間が動いていると思い込んでいるのは、古臭い資本主義に洗脳されているからに過ぎない。最近の人間が利益で動いていたに過ぎない。人間は時代によって違う価値観で動く。名誉を一番の価値に置いた時代もある。何かを作り出したいと言う気持ちは、人間の本源的なものである。絵を描きたいという思いは、別なものである。

創造物に権利を付けるという発想は、資本主義では普通である。しかし、ネットはこの資本主義の価値構造を壊し始めている。詩人が詩を利権として扱いたいとしても、そんなものすでに成立しない。そもそも作り出した詩で儲けたいという詩人は少数派である。詩を売って生活出来ないから、詩を作らないだろうか。売れないから良い詩が出来ない。資本主義と言うものはそう言う考えである。ネットでは、音楽の著作権が崩れてきている。映画やCDも忽ちにネットで流れる時代。ただで見れればだれも買わない。買わなければいいものが出来ない。そう言う主張をしているのは、一儲けしたいからものを作る人たちだろう。書籍の再販制度が無くなると良い本が無くなると主張している人が居るが。そんなものが無い時代の方が良い本がある。研究費が無くなると学問の進歩が無くなると言うが、本当だあろうか。違う質の学問になると言う事だと思う。ともかく、ネットは著作権のような、知的財産権を崩壊させる。これは善悪を越えて文化の質を変えて行くと言う事だ。

昨日の自給作業:キャベツ苗の植え付け等2時間 累計時間:18時間

 - Peace Cafe

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