人口減少時代の日本の姿
国土交通省では人口減少時代を随分前から予測している。「国土の長期展望に向けた検討の方向性について」平成22年12月17日に国土交通省国土計画局が作っている。2050年の日本の姿であるから、生きていて見れるとしたら、100歳と言うことになる。興味のある所を抜き出してみる。
○日本の総人口は、2004年をピークに、今後100年間で100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく。
○国土の大部分で人口が疎になる中、≪高齢者1人あたりの生産年齢人口≫は、ほとんどの地点において2人を下回る
○地球温暖化の影響による平均温度の上昇のため、米粉米、飼料米、バイオマス米などの用途となりうる米の二期作や早期栽培米の栽培可能地が増大(現況実施面積1.4%→将来可能面積44.2%)
○主要産地である北海道の小麦作については、地球温暖化の影響による収穫期の降雨日数の増加のため、品質低下による大幅減収の可能性があるが、冬期の降雪期間の短縮に合わせた収穫期を図る栽培を行えば、概ね現況どおりの収穫の見込み。
○少子高齢化と人口減少により摂取カロリーは2050年には26~28%減少する。そのうち、米(主に炊飯)と小麦の摂取カロリーは22~32%減少する。
○里地里山とされる地域のうち現在人が居住している地域の約4割(国土全体の1割)が無/低密度地域になる
○降水量の将来推計は不確実性を有していることに留意が必要であるが、今回用いた気象庁の推計によれば、2050年には地球温暖化の影響により年降水量が大幅に増加する一方、人口減少等により水需要は減少するため、年間を通して見ると水資源賦存量に対する水使用量の比率は一時的に小さくなる可能性がある。
以上のデーターに基づき、私なりに将来を想像してみる。生産者人口が半減し、あらゆる分野に機械が入り込む。土地が暴落して、所有を希望する人が居なくなる。住宅地は特に土地価格が付かなくなる。就職は年々困難さがまし、会社の望む特殊な能力のある人だけが就職可能。社会の格差は、ひどく大きくなる。士農工商的な身分制度が見えない形で支配してくる。不動産収入を当てにするような農家の暮らしは、不可能になる。能力主義が支配し、それが差別問題になる。手に職をつけるのが一番というような、職人的な時代の傾向。公務員の給与は今の半分位になっている。新しい病気が増加してくる。気候変動が激しく、大災害が起こる。残念ながら悲観的な想像になる。当事者たる政府が、国交省の予測に向かい合っていなのだから、このままずるずる行く可能性が高いと見ておかなければならない。
農業生産の条件は、それほどは悪化しない。むしろ国土全体では農業向きの国土になる。人口は江戸時代に戻ると考えられている。このあたりに、軟着陸の姿が見えてくる。計画後の2年間をみても、この推計に近い動きが始まっていることがが分かる。少なくとも行政機関はこの資料に基づいて、各市町村の総合計画を立てる必要がある。小田原市の計画では考慮されていない。住宅は間違いなくいらないくなる。市街化調整区域の見直しなど、時代の先を見通せばあり得ない事。街中においても、所有者の分からない住宅やマンションが珍しくなくなる。10年もすれば、宅地や住宅、そして山林、農地の投げ売りが、地方から始まっているだろう。土地の資産価値の捉え方が、人口減少時代では様変わりする。所有していることの負担が大きくなり、資産的に土地と言うものを保有する人はいなくなる。農地なども、耕作する人が急速にいなくなるので、耕作するだけで何らかの対価がもらえる時代になる。この機会をとらえて農地の公有化を行えばいい。
2050年の時代、自給に生きる人間にとっては、悪いことは少ない。土地はふんだんにある。自給に生きる人間も当たり前のように増えているに違いない。自給農業の技術をまとめておくことは、今以上に重要なことになる。技術さえあれば、人間一人の自給は100坪の土地と、毎日1時間の労働で可能なのだ。田んぼが出来る場所を一人、1畝(100㎡)確保しておけば50キロのお米が出来る。2期作が可能なら、80キロ可能になるだろう。1畝に野菜を作り、1畝に鶏小屋付きの家を建てて住む。何の不足もない。足柄平野の農地面積では、食糧自給が可能になると言う事だ。人間の暮らしは食糧確保さえできれば、心配はいらない。病院も、学校も無くなっても何とかなる。天候異変は相次ぐことだろうから、異常高温、異常低温には常に気おつける必要がある。雨量は増える。水の力が大きい。その点でも稲作は有望である。大雨に強い山づくりは、今から取り組む必要があるだろう。