「空海の空」

   

最近小説本にはまり、50冊以上の本を買ってしまった。それでも1カ月位で読んでしまう。ブックオフで1冊105円で買う本である。東京には3冊100円の古本屋があるのだが。お風呂の中でも読んだりする。読み終わった所から破り捨てる。書物に対して不謹慎な読み方をしている。こんな読み方なので図書館の本と言う訳に行かない。読んでない本がある安心。中学生の頃、試験の前になると本にはまりこむ。夜中まで読んでいて怒られるので、布団の中に明りを入れて布団を燃やしたことがある。テレビのがん保険のコマーシャルが刷り込まれた気がする。がんと診断されて、本を買い込んだというくだりである。好きな時に好きなだけ本を読みたかった。本を読む楽しさは他の何にも代えがたいものである。中学生3年間で図書館で一番本を借りた人で、賞状をもらった位である。その頃から変わらないのだが、中国ものが好きだった。毛沢東でも、三国志でも構わなかった。

「空海の空」は司馬遼太郎にしては読みにくい本である。空海をめぐる感想文と言う方がいい。密教の世界のことなど、予備知識のないものに分かる訳がない。現代でも空海研究会と言うのがある位だ。正密と雑密があると言われても、小乗仏教と大乗仏教と言うような、雑の方を蔑んでいる感じなのか。雑と言うのは修験道的な、仏教以前の呪術的土俗を言うのか。インドでの宗教としての発生の違いというようなことが書かれている。インド世界のことになると、仏教のような巨大な思想哲学を完成して置きながら、いつの間にか、ヒンズー教という一地方の宗教に変わってしまう不思議。それを受け入れ育て上げた7世紀中国の唐と言う時代の大きさ。そして、日本から仏教を学びに行く、天才中の天才。空海はサンスクリットを半年ほどでマスターする。中国で失われてゆく密教の継承者として、宇宙的で壮大な密教を体系化をする。そのご日本で1300年間、宗教として成立させた空海。御大師様として、身近なお坊さんであり、弘法水は全国いたるところにある。

だいたいに中国ものは読みにくいと決まっている。読めない漢字の名前が山ほど出て来る。探偵ものが好きなのだが、名前がカタカナだと厭だと言う人が居た。わたしは名前を覚えられないので、適当である。105円の本には、名前がメモったりしてある位だ。前半は空海の自分像が手探りである。明確に出来ないでいる。唐時代の様子が面白い。作者が頭の中で、勝手に思い込んで吐き出せないようなもどかしさがある。密教の内容が分からないレベルの読者を求めてません。と言われてしまうようだ。古代の日本社会の感触、唐時代の中国の感触、これが徐々に紡ぎだされるあたりは、さすが司馬小説である。外郭から迫り、中盤あたりで空海の天才性がくっきりし始める。このあたりから名前も呑み込めて、ハマり始める。あくまで小説である。

お大師様の日本の民衆の受け止め方は興味が深い。我が家にも水が湧いている。この水と言う財産は私有しにくい。弘法の水と名付けたい心理がある。水には厄介な利権がある。利権があれば不安がある。大師様におすがりしたくなる。田村さんは諏訪の原の少し下で、湧水を見つけて養蜂場にまでひいてくれたそうだ。水の管理は天皇家である。それは国家権力といえる。そこで大師様で対抗する民衆的な知恵。大師様の杖の先に水が湧きだすリ有難さ。技術と言うものを秘儀として位置付ける密教を感じるがどうだろうか。天皇家も空海の密教も同根ではないか。民衆は技術と言うものを、信仰の対象にまつりあげながら、ムラ、地域公共の財産として管理運用して行く知恵。水神信仰による、管理。古代中国の開かれた精神。唐時代の特殊性。海外からの外交団を優遇する姿。遣唐使の話をもっと読みたくなった。

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