自給農のこれから

   

世界経済はその末期的様相が、目にも見えるようになってきている。中国の経済綻びが徐々に表れてきている。減速が始まれば、転げ落ちるようだろう。今はそれまでの、しばらくの踊り場状態ではないか。冷静に考えれば途上国の経済成長に寄りかかるように、しのいできた世界経済が落ち込んでくるのは当然ではないか。TPPだろうがFTAだろうが、自由貿易によって競争をし成長を善とする経済は限界に達している。生きてゆくことをそれぞれが、自分の足で立つ方が良い。先進国の経済成長より、取り残された国々の経済困窮の方が、世界全体では重要な課題だ。日本経済がこの先良くなることなどないとしたほうがいい。日本が弱い国を押しつぶすような競争に勝つことは、やってはいけないことだ。世界の課題は貧困が蔓延している国々の農業の自立である。そう考えれば日本の農業が国際競争力を持つことは、方向が違う

食糧を商品経済から、解き放つことが21世紀の世界の目標にならなければならない。アメリカを中心にした先進国が、自分達の贅沢な暮らしを維持するために、農業に不向きな国々を、食糧支配することは、さらに貧富の差を広げ、世界の危険度を増してゆくことになる。日本は江戸時代に確立した、自給経済の循環の体験を生かす事だ。一日も早く、競争から共生へと方向を変えることが悲惨な状況を軽減することになる。その意味で、食糧自給こそ農業の優先課題である。その為の政策は国際競争力とは、相反する。TPPとも反する。と思いながらも、政治の貧困を思うと何の対策もないまま、その日を迎えると考えなくてはならない。私が生きている間に終末まで行くのかどうかは、微妙な所だと思うが、想定できる危機が待っている。

その日に備え、自給農業の確立である。食べるものを他人にゆだねている、危うさは増している。戦後の食糧不足のとき、隣の畑の家族はサツマイモ苗を植えながらも、栽培に失敗して相模原で飢餓に死んだと、聞かされている。農業は技術に支えられている。自給農業は技術さえあれば、100坪一日1時間の農業で食べるものは確保できる。しかもこの先エネルギーは不足する。機械を極力使わない技術を確立しなければならない。今政府の目指している、農地の拡大と大型機械の発想とは、ま逆なものである。こんな状況に置かれているのだから、政府は期待できない。自給農業の技術は庶民が協力して打ち立てるしかない。稲作と大豆の作り方はだいぶ分かってきた。小麦はまだまだである。いずれこれらはグループで耕作した方が合理性がある。グループ栽培で可能性があるのはタマネギだろうか。大半の野菜は身近で個別にやった方が良い。

野菜については直播と苗作りのバランスだろう。こまめに身近で作る技術。今年のゴウヤのグリンカーテンは10月まで食べた。100個近くが1間の窓辺のプランターで出来る。段ボールコンポストをやれば、生ごみはすべて堆肥として循環できる。それぞれが暮らしの中で取り組むべきことは山ほどある。従妹は新宿のマンションのベランダで、自給に近い野菜作りをしていた。去年はプランターでキャベツやブロッコリーは立派なものをつくった。徐々にだけれど、自給農業の方法が見えてきている。自給農法研究会と言うものが京都にあるらしい。はたけCafe「おいしい」と言うところで作ったものも食べられるらしい。春キャベツを植えて、結球部分だけ収穫して、そのまま畑に置いて置き、さらに小さいキャベツを収穫するらしい。そこまではやらないが、苗とか株分け挿し木、こういうことをこまめにやれば、狭い畑でも30坪あれば自給できる。いずれ面積や気候によって、方法は変わってくる。

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