めだか田んぼのこと

   

あしがら農の会では、鬼柳境でめだかの生息地を守る田んぼを引き受けている。県と市と地域住民で作った、メダカ協議会の中でこの田んぼの事が協議され、保全組織が出来るまでの間、一時的に農の会が引き受けることになった田んぼである。小田原市が立会いの下、神奈川県土木が田んぼとして整備する約束をしたものである。所がついに約束を果たさずである。今でも腹も立つが余りに相手の程度が低いので、抗議するのも疲れて止めた。第一何故お願いをする立場になるかが分からない。田んぼに整備するからやって欲しいと言ったのは、メダカ協議会である。こんなことになるなら、地主さんの希望通り、土を入れて駐車場にすればよかったのである。今農の会が田んぼをやめれば、地主さんは騙されたことになる。そのことを思うと止めるに止められず、困り切る。

それで諦めきれずに、一年目は自分でやり、去年と今年はNさんにお願いし、3年は耕作を続けた。3年間たっても、だれも責任を取ろうとしないので、ついに諦めて個人の費用で田んぼに直す覚悟をした。めだかの為と考えての我慢である。それで小田原市の環境保護課に対して、農の会の責任で田んぼとしての整備をするので、水路や畔をいじることになる。地元の水利組合や生産組合との調整をお願いしたいと申し出た。田んぼは小田原市が借りて、あしがら農の会は小田原市から借りる形になっている。農の会の認識としては、メダカ協議会の田んぼと言うことである。お願いして1週間ほどして回答の電話があった。「民民のことなので、行政はかかわれません。」こういうトンチンカンな返事である。やはり農の会は田んぼを止めた方がいいということか。さらに先日は鬼柳でビオトープを作る話があった。一体どこの誰が管理するというのだろう。管理の責任を持つと県に約束したのは小田原市長である。

今緊急にやらなければならないことは、桑原・鬼柳のメダカ生息地を保全して行く組織を作ることである。これが出来ないなら、小田原めだかの保全は諦めることだ。もう15年になる。何故市民的な保全組織が広がらないかが問題である。建前では環境保全はやるべきことと言われる。小田原市の魚は「めだか」である。派手な集会は繰り返されてきた。結論から言えば、市民協働と言うことが血肉に成っていないということになる。建前で理想論やら宣伝が繰り返されては来たが、一部の変わり者の、暇人がやってくれているので、任せておけば済む。大多数の市民の意識がこのあたりにある。と行政は見ているのだろう。行政職員も労働提供はする。しかし、これは間違っている。時給2000円の人たちに、草刈りなどしてもらっていたら困る。市民協働とは何か。行政の役割は何か。市民の役割は何か。このことを現状に即して考えなくては進まない。

やり方はある。市民にとって楽しい集まりを作ることである。どうしたら行きたくなるような、楽しい場所になり、意欲的に活動が出来るかである。これが出来ないなら、保全の意味が無いということになる。15年それなりにやってきたにもかかわらず、根づいていないことを反省し、分析しなければならない。多分、本来行政がやるべきことを肩代わりしているという意識が、市民意識の根底にあったのではないか。一方、行政は、めだかの保全の意味を、小田原のこれからの暮らしの方向性の中できちっと位置付け、掲げることである。そして環境保全全体を市民が行うものであるにしても、行政の役割と責任を認識し、環境保全事業全体を市の事業としてとらえ、最終的な責任を持つことである。今回の行政の、「民民の事ですから、そちらでお願いします。」の態度は、まさに行政の事なかれ主義が顔を出したことで、小田原市の掲げる市民協働の精神を理解していないということになる。

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