TPP滑り込み論
TPP加盟が11月に議論もないまま、滑り込もうという考えが、どさくさの水面下で進んでいるらしい。TPPと原子力発電は同じ考えに支えられている。原発の背景には、原発マフィアが存在するように、実はTPPの裏にも、TPPマフィアが存在する。東日本大震災、そして福島原発事故のすきを狙って、論点をすり替えてしまい、日本が沈没しないためにを掲げて、TPP滑り込み加盟を画策しているという。原発の問題では事故が起こるまで、その危険性を裁判所ですら認めなかったように、TPPの本当の問題点を想定外にしている。日本の農産物の国際競争力は、唯一のよりどころは安全安心であった。清らかな水で作られた果物。こういうイメージが定着していた。ところが今回の事故で、日本の農産物のイメージは地に落ちた。今後日本の農産物の輸出は考えない方が良いだろう。日本農業は自給ということで、その成立を真剣に考える他道が無い。
TPPを結ぶ不利条件が原発事故で増して来た。この現状でTPP参加を発言するのは、日本の国益とは別観点である。今でも経団連は原発推進を力説している。安全性についての論議もしないうちから、日本経済の為には、原発は必要だと叫んでいる。それは、日本経済のためと言いながら、狙いは大企業の利益の為には原発は必要だという意味である。亡国論である。企業利益の為には、少々の国土の放射能汚染などどうでもいいのだ。企業利益以外関心が無い人たち。TPPを結ぶことが企業の利益につながる可能性は確かにある。企業の生産品の輸出に関税が無いのだから、工業製品の輸出には有利になるだろう。しかし、それが日本人の利益に繋がるとは限らない。農業者の利益には全くならない。そして、大半の日本人の利益にもならないということが、徐々に明らかになってきた。誰が一番儲かるかと言えば、特に農業輸出国アメリカである。お友達であるアメリカにケチを付けたくはないが。しかし、アメリカの主張する自由競争は強者有利の論理である。能力主義は能力の高いものに有利な考え方だ。
「能力差別は乗り越えられるか。」絵を描いていると、良い絵とダメな絵があることが分かる。マチスのような天才の描いた絵は、かけがえが無いし、人類の宝だ。しかし、絵を描くということが変わって来ている。良い絵を描くために絵を描くのでなく、自分の絵を描くということが重要になってきている。良い絵を鑑賞するということに加えて、自分の絵を制作するという意味が人間にはある。傑出した絵が存在しえない時代になった。絵を描く価値は、良い絵を描くということではなく、自分というものに向かい合う行為としての意味。そんな絵の描き方に成ってきたということだろう。現代人にとって、できた絵以上に描くという行為に重要性がある。今の時代に少々よかろう絵も、少々悪かろう絵も、事物として比較したところで意味が無い、ということに成ってきている。これは絵画の客観価値にしがみついている、既存絵画関係者には認めがたいことではあろう。相変わらず、能力差を主張したがるのは、絵画の周辺の拝金主義である。
人間が食べる食品は普通に良ければいい。差別化は極力控えた方が良い。食糧の生産においては、1番を目指すような精神は捨てなくてはならない。安心安全が販売戦略のはずが無い。当たり前のことだ。TPPの最大の問題点は、生存を支える基本的な食料というようなものに、競争を持ち込み、強者が支配しようとしている点である。確かに一面、能力主義は、尊い人間としての努力ということと結びついている。人間から能力主義を捨てたら、向上心を失い人間は努力しなくなるという不安があるだろう。それは他者と比較する西欧的文化と深く関連している。立身出世こそ自己実現とした、明治政府のまやかしである。これからは政府から与えられた目標でなく、自らの思想に立脚した自己実現ということを、深く文化として探る必要がある。この点でも江戸時代は参考に成る。立身出世もなけば、大金持ちに成る希望もない社会。そこでどう自己実現を図るかが模索された。
昨日の自給作業:草刈り種まき3時間 その他書き忘れお茶作業4時間 累計時間:20時間