原発事故に風評はない
古くは狭山であったダイオキシンの農作物汚染。最近では口蹄疫や、鳥インフルエンザの感染で、食品一般に広がる被害を風評被害と呼ぶ習わしが生まれた。その関連からか、放射能汚染の問題でも、風評被害が言われている。しかし、今回の放射能汚染については、風評被害の言葉は少し違うだろう。少しじゃない根本的に違う性格の問題だろう。これは明確に東電被害だ。風評被害とは、根も葉もない流言で被害を受けることだろう。例えば、鳥インフルエンザが流行するようになって以来、養鶏場には悪い伝染病の病原菌が居て、すべての養鶏場が危険な施設である。というような流言飛語の場合である。笹村農鶏園では、今でも実際にそう信じている人からの不安の指摘がある。本来風評というのは、噂話のことで、世間側にとっては気楽なお話ということだろう。
今回は原因も明確である。福島第一原子力発電所のレベル7の事故が起きたのである。これは日本の国土の3分の2が人が住めなくなる可能性のある事故なのだ。現在は、かなりそのリスクは下がっては来たが、今なお油断の出来ない状況である。風評ではない。深刻な現実の被害である。この事故で、フランスの野菜が売れなくなったと言えば、一応風評被害と言ってもいいだろう。現実に神奈川県でも放射能は降り注いだ。あのテレビがのんきに「白い蒸気が出ていますが、湯気でしょうか。」などと言っている時に実は大量の放射能が噴き上げていたのだ。本来なら、緊急情報として、「危険です。放射能が大量に出ました、屋外には出ないでください。」緊急報道をすべきだったのだ。小田原の防災無線は特になにも放送しなかったが、すべきかどうか論議ぐらいあったのだろうか。パニックを起こしてはならない。と言ういい訳のもと、政府の虚偽発表に大半の報道が、率先して自己制御して従ってしまった、責任を正しく検証する必要がある。
あの風評と言う逃げを報道機関が使うようになって以来、すべてが曖昧になった。ユッケのように相手が弱いものであれば、一斉に袋叩きである。しかし、原子力と言う権力と利権に対しては、はっきりしたもの言いが出来なくなる。それで風評と言う形で一括して、福島県の農産物を食べましょう等、善人的報道を繰り返す。今起きていることは、鳥インフルエンザどころでない、現実の怖ろしい事態なのだ。パニックが起きて当たり前の状態である。確かに、パニックを起こさなかったことは報道の力であろう。しかし、放射能を吸い込んでしまって、人体に影響を与えてしまったこと、現在も影響を与え続けていることに対する責任もまたある。私は横須賀での測定値を見ながら、極力屋外には出なかった。雨の日は当然濡れないようにした。継続して数値を見てきたが、幸運にも小田原が汚染された量は極めて少なかった。
風評と言うが、あくまでこれは現実の判断である。食品を選ぶ目は自己判断で行う。漁業者には申し訳ないが、魚介類はよほど正確な測定が必要ではないだろうか。これからも汚染は増え続けて行く。魚介類での生体濃縮が起こると考えなくてはならない。福島県近海ではしばらく漁業は禁止にしたほうがいいだろう。政府の発表した安全と言う30キロは漁業者自身のことで、魚の汚染については別である。東電はその被害に対して手厚い補助を行う。土壌の調査も繰り返し徹底して行う。300キロ圏でとことん調査を行う。そしてどういう状況であるかを公開する。農業の禁止地域も設定する必要があるだろう。私には信じがたい話なのだが、ヒマワリや菜種が放射能を吸収するというチェルノブイリでの報告も、早急に汚染地域の圃場で実験してみることだ。多分日本の風土では雨水での地下水汚染が起こりうる。地下水調査も始めてもらいたい。そうしたデーターが出そろわない限り、原子力被害は風評とは言えない。
昨日の自給作業:お茶摘み8時間 累計時間:12時間