名古屋市議会の解散

   

名古屋のリーコール投票は圧倒的に解散賛成で終わった。前代未聞の事態である。市議会議員が自らの給与削減を受け入れなかったこと、市民税の減税を認めなかったことが、直接の原因であろう。拒絶だけで、議論が成立しない議会に怒りが沸騰する。市長の方が、議員より給与が安い。これではちょっとおかしい。市長の方が経費がかかるだろう。政治家の給与は必要経費であるべきだ。「河村劇場に負けた。」と民主党の責任者は発言していた。敗因の原因分析がお粗末。市民の置かれた閉塞感というものの把握が、民主党には出来ていない。それは自民党も同じである。これだけで終わる性質のものではない。商売でも値下げ合戦は、智慧のない手法だ。減税で解決する訳でない。この問題に始まる財政の問題に、きちっとした議論が議会で行われなければならない。この点では、名古屋も阿久根市と変わらない。国会以上に、市議会が議論の場に成っていない。

選挙が終わったのだからノーサイドだ。というようなことを発言した民主党議員がいるが。リコールの結果をもう少し良く考えるのが、政治家ではないか。これから市会議員選挙が始まるのだ。当事者たる市民にとってはノーサイドどころではない。市議会の現職議員に対し、戦いを挑まなくてはならない。市議会改革こそ、市民の暮らしを良くする第一歩である。市議会議員の役割は何であろうか。この原点を考える必要がある。市民の暮らしを良く良く知った素人が、プロの行政に対して、素朴な疑問を発言する。これが第一の役割であろう。そして問題点を市民に伝えて行く。例えば、今ある小田原の問題でいえば、駅前の地下街をどうするか。市長は小田原市が経営の主体に成り再生を図ることを発表した。これに対し素人意見で構わないので、全議員が見解を出してほしい。そして議論である。税金を使うのである。市民に分かるような議論にしなければならない。

その為には、インターネットを大いに利用してほしい。全市会議員が懸案事項に対して、自分の考えを述べる。これが第一歩である。それをしないで済ませているのでは、市会議員が必要とは言えない。繰り返される、後手後手の問題は議会が見えないことに始まる。議場に止まる議会では、市民から遊離する。市民に見える議論。今がその絶好の機会だ。どの議員も自分の考えを出すべきだ。その為にはインターネットを大いに利用すべきだ。安く誰にでも見える形で議論が出来る。市民もその意見を見て、市会議員選挙の際、自分の考えに近い議員に投票することが出来る。考えを見せないようにするのが、市会議員の生き残り戦術とした時代は終わっている。「明るい小田原、元気な小田原。小田原再生。」こんなことでは、市民は納得できない。自分の分かる分野で政策を持つこと。持っていると自覚している議員は、ホームページでマニュフェストとして示す。これが市会議員の第一歩だろう。

身近な市議会が機能していない最悪の状況に成っている。肝心な問題には沈黙が金となる。名誉職というか、就職先に成っている。議員年金を目指してもう一期としぶとい議員すらいる。どこから変えたらばいいのかが見えないだけに、閉塞感が深まる。テーマ別の市会議員の討論会をしてほしい。例えば、広域の葬祭場問題を考える集会。ごみ問題を考える集会。地下街を考える集会。各会派の議員が10人程度集まり、朝まで議論をする。国がチェンジしたけれど。どうにもならない。それでは身近な市町村はどうか。こういう思いが普通に暮らす人々に起こっている。ノーサイドどころでない。この動向を育てる必要がある。いま吹きだしている芽を潰してはならない。減税問題は市民の目を地方議会に向ける手法だと思う。日本の行き詰まりを地方議会から変えて行く。名古屋がその先進地域として、手本を見せてもらいたい。

 - Peace Cafe