農地バンクの課題
「農地は海である。」農地を個人所有とすることは止めよう。漁業権のように耕作権を農業者に与える。政府が農地バンクを一元化して展開することが提案するようだ。この政策には期待できる。農業者の平均年齢は66歳になる。私のように62歳でも平均よりは4歳も若い。平均年齢の方が上がってしまうので、平均にはいつまでも追いつけない。正直周りの農家の老齢化は緊急的状況である。団塊の世代が働けなくなる後5年間が、農業改革の勝負である。農地管理が財産管理に成っている。農地を国民全体に開放する、第二の農地改革の断行である。「現代農業」の3月号にTPPに関する私の考えを載せてもらった。農地の国有化のことを書かせてもらった。農業の再生は、日本の再生だと考えている。戦後日本が歩んだ高度成長という経済の道は、曲がりくねって、ついにドンずまりに至った。
日本という国家はどこを目指すべきか。「食糧は輸入した方が安い。輸入が簡単に滞ることはない。」それも一つの考えである。日本人が優れた工業製品を、何故生産できる国に成ったかを考えて見ると。長い稲作によって培われた日本人の存在がある。稲作文化によって、優れた労働者を供給することが出来たことが土台となった。創意工夫を地道に出来る。深く考察する、観察眼を持った、均質かつ高レベルの労働者。こうした日本人が戦後の高度成長の基盤になった。明治の富国強兵の基でもある。この労働者は良く集団の意味が理解した。阿吽の呼吸で組織というものを構成した。有能な仲間を互いの為に中心に据えることを、陰から支えるような力量があった。当然、優れた人材もそうした土壌から生まれ出た。次々に世界をリードするような企業が、出来上がっていった。もとはと言えば、農村から集団就職する多くの若者達であり。末は博士か大臣かと故郷を旅立った農村の若者である。
近年の日本人の劣化は、農村の崩壊に始まる。稲作を中心とした、日本人というものを作り出した文化の消滅にある。もう一度江戸時代の日本の農村を見直すことが重要なのではないか。明治以降の富国強兵政策が、戦後の高度成長の社会が、消滅させていった、日本人の原点を考えて見る必要がある。例えば、皇室というものを明治政府は、冠むりとしての天皇制という形で日本人の統合と富国強兵に利用した。その為に稲作の元締めとしての天皇家。水土を司る文化的存在としての天皇を見失った。江戸時代の天皇家の位置は、実に巧みだと思う。江戸時代が300年の安定を見たのは、稲作農業を中心に据えた、循環型の社会が構築できたからである。ここで作られた人間力や文化的財産を使い果たしたのが、今の社会である。日本で生産しても、中国で生産しても、同じになった。そうした工業製品しか作れなくなっている。物を深く見る目を失っている。
日本人は学校教育で作り上げられた訳ではない。。田んぼをやってみればすぐわかることである。技術化された方法なら教育のある人間なら可能であるが、現代人は技として伝承されたものを受け継ぐ能力が乏しい。日本人を再生して行くには、日本人が大地に根を下ろした暮らしを取り戻すことだ。専業農業者が多数の国に戻ることはないだろう。しかし、農業に大多数の国民が触れることが出来る国にはなれる。その意味で農地バンクは可能性がある。現在も行われているが、効果は少ない。農協と、農業委員会が、農地を財産と見ているからだ。国の強制権を付加しなければならない。耕作しない農地は、耕作するものに強制的に使ってもらうようにできる。農業目的以外に利用する、転用などの可能性を一切断つ。公共事業用地に転用するときには、農地所有者が利益を得ることなど一切なくす。農地はあくまで、生産の為にあること。