一人が出来ること
今世界中で起きている悲惨ともいえることは、たとえば地球温暖化は、一人の人間にはどうしようもないかに、見える。しかし、見方を変えれば一人の人間の暮らしが変われば、すべてが変わることなのだと考えている。どう変わればいいかを、書き続けて見ようと考えている。一人に出来ることなどわずかなこと。何も出来ないように見える。でも一人が変わらなければ始まらない。ではどこからどう変わればいいか。段ボールコンポストを始めれば、暮らしが変わる。3年ほど前に若い友人に言われて始めたことです。確かに矛盾もいろいろある。問題点から言えば様々ある。でも段ボールコンポストは一人で出来る。ここから世界が変わるかもしれない。そう思うようになった。これが案外に続けられない。偉そうに環境運動家を名乗っている人でも、生活のない人には続かない。生活に根差さない人達が、世の中を良くするつもりで、駄目にしていることが多々ある。
小田原では、行政がこの活動に協働してくれている。問題点もある加藤市長であるが、段ボールコンポストには勇気があった。段ボールコンポスト一つでも、行政が取り組むとなると失敗が出来ない。1000軒配るモデル事業と言っても、500軒しか集まらなければ、そら見たことか。ということになる。もちろんそれまでの市民活動を踏まえてのことであるが、小田原の環境政策課は決断した。当然私は、1000個を担いで回っても、やってもらう気でいた。それが何と、公報に載っただけでたちまち1000軒が呼応した。小田原の市民は素晴らしい。100配ることさえ四苦八苦している地方もある。しかし、小田原だけではないのだと思う。心ある人は無尽蔵である。やってくれている人は、これが案外に、環境活動に熱心、と今まで言って居たような人ではなかった。暮らしのある人がやっている。段ボールコンポストで出来た堆肥を使って、野菜を作りたいと言う人が多かった。
プランターでブロッコリーとキャベツを始めて育てた。この野菜が何と美味しかったことか。こういう方がおられる。一歩すすむ。自給的生活の方法。このやり方を出来る限り合理的にして行く。そして誰にでも、その気になれば始められる、技術的なものに高めて整理する。自分の役割をそこに置くことにした。自分がやりたい興味である。自給自足を30代後半に突然やってみたくなって、始めた。人に教わるのは嫌いだから、本を読みながら、現代農業に励まされながら、取りかかった。それはできないだろうと半信半疑で始めたことであったが、意外にも5年後には、出来ていた。技術も体力もないのに、シャベル一本で何とかやり遂げた。色々が違って見え始めていた。山の中に、隠遁して暮らすような自給生活のはずが、もう一度、社会と繋がって行ってみようと思いはじめていた。そこから少しづつ、仲間が広がってきた。
一緒に田んぼをやった。それから20年位が経つ。自給してみようという根底は一人ひとり違う。私は人と一緒というのは苦手である。気まま勝手が好きである。同調しない協力関係というような、距離を置きながらも、波動を合わせる。ちょうど良い人間の距離を探して来た。それには田んぼはとても良かった。もちろん今やっていることは、地球規模でいえば、歯止めでも何でもない。それでもやらないではいられない。始めれなければ、何も変わらない。どこの誰でも、私のようなごく普通の一般人が、専門家の人から見れば、幼稚なことかもしれない。ただ、毎日の暮らしに根差した考えを。こうして毎日書くことが出来る。何の障害もないし、変わらず暮らしている。ともかくやってみるしかない。