欠ノ上田んぼ

   

欠ノ上田んぼは11月21日に田んぼの作業が終わった。総括の集まりが、和留沢の禅堂「明真寮」で18日にあった。まだ、ハザ掛けの竿をしまう場所を作ったり、田んぼの石積みを直したり。やることは残ってはいるが収穫までの作業は終わった。欠ノ上田んぼは、放棄された棚田を修復するという意味では、成功に終わった。昭和30年ころに田んぼをミカンに転換した。そして、最近までミカンの果樹園だったところと、放棄されていたところを一年前から復田をした。ギリギリ田植えに間に合うというような中で、何とか田んぼが終わった。メンバーは13家族で、すべて初めて集まった人たちである。田んぼの一年が終わり、いろいろの人と知り合いになれた。そういうことが田んぼで一番面白いことである。欠ノ上田んぼも、小さい子供がいる家族が多い。赤ちゃんから、小学生までで10人以上いそうだ。そういう子供たちが、田んぼに来てくれることが何より楽しい。

来年は私はその上の大子神社の向かいの田んぼを手伝うことになる。欠ノ上のメンバーからは外れる。欠ノ上は農の会の集大成のような活動である。すべて耕作できなくなっていた、農地や竹やぶである。全体では1町歩ぐらい戻したことになるのではないだろうか。国交省の元気回復事業、県の里地里山保全事業、そして農の会による実施。耕作放棄地を農地に戻す活動の典型的な事例だと考えている。農地が耕作されなくなるには、様々な事情がある。担い手が居なくなる農村では、どこにでもあることだ。しかし、形状的には農地に復帰しても、経営可能な農地は意外に少ない。大きくまとまらない、大型機械が入らない。周辺に樹木が迫っている。獣害が相次ぐ。私が暮らすあたりが、中山間地とまでは言えないのだろうが、企業的農業では、かかわれない農地が放棄されている。こうした農地を耕作して行くには、市民的な農業に可能性があると思う。そのひとつの事例ではないか。国交省でも直接進捗状況を見に来たのだから、今の耕作の終わった状況こそ確認してもらいたいところである。

欠ノ上の田んぼでは、2,7反がグループ田んぼで、1、400キロの収穫があった。反収8,64俵。会費が1万円である。お米は90キロもらった。1年目で費用的にも様々な用具の購入が必要だった。また、周辺の土木工事に相当出費もあった。そうしたものも含めて、何とか1年目の目標が達成できた、第一の要素は岩越さんの観察力と、土木力である。もちろん全員がその指示に頑張ってついて行ったこともある。たとえば、川の対岸の木の伐採をする。こういうことは、一見田んぼの作業ではないが、実はあの田んぼにとって、一番の改善であったはずだ。水路の整備もそうだ。入水口の整備が出来たことで、漏水が相当に減った。田んぼを行う総合力を持っている田んぼグループ。柿、栗、さくら、綿、タケの子芋。畑のほうも3反以上を管理している。この総合的な農地管理の市民グループ方式は次の時代の農業の在り方を、示していると考えている。そのことに1年かかわれたことがよかった。

来年は、舟原田んぼ、子ノ神田んぼ、欠ノ上田んぼ、と3つの田んぼの連携を模索したい。市民の場合、やりたい田植えが日程的に出れないということがある。しかし、3日指定されてどこかに出れるというのは合理的である。昔から、田んぼは村の協働作業である。不足するところを補い合いながら、より大きな輪を作り出していた。市民の行う田んぼでも、田んぼグループ間の助け合いが出来るようになれば、より合理的な形が作り出せると思う。同じ水を使う仲間として、連携を深めて行く。次の段階が生まれるてくるように思っている。1年目でこんなに良いグループが生まれて来るということが、田んぼの持つ力の素晴らしいところである。

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