麦を作る

   

麦は山北に暮らすようになってすぐに作った。自給にはどうしても必要な作物だからだ。子供の頃のホウトウが忘れられないということもあった。何度もやったのだが、これならば合格という栽培にはならなかった。その頃は田んぼの裏作でやりたいと考えていた。農業の実力から言って、一遍にそこまで考えたことに無理があった。今でも可能性を探っているが、考えあぐねているうちに、残された年月は少なくなっている。自給農業では畑を狭くするということも大切なこ条件だ。今は地域に農地が余っているから、むしろ農地を管理するということが主になって、裏作では、緑肥作物を作るということで済んでいる。田んぼなら、冬は蓮華やクロバー。小麦なら夏にソルゴーとかクロタラリアということになるのか。将来は三毛作ぐらいしなければならない時代は来るだろう。そのつもりで技術だけでも整理したいとは思っている。

当面は麦をしっかり作ってみる。一般的には、小麦の収量は一反400キロ。六条大麦が300キロ程度のようだ。おととしはその程度は採れている。麦は天候に大きく左右される。特に収穫期が梅雨に重なる小田原では、なかなか良い品質の小麦粉にならない。春から以降の高温も雨もあまり良くないようだ。だから、300キロ超えればいいとしてきた。倒伏もする。今まで農林61号を作っていたが、丈が伸びすぎてどうもいけない。今度作っている「あやひかり」は倒れにくいということだが、どんなものだろう。懸案となっている雀の害をどう防ぐのかも重要なことになる。最近雀の数が減ってきているので、その点は助かる。動く案山子をもっとリアルに作るのもいいかもしれない。世界的に見れば600キロぐらいは普通なのだから、工夫が必要である。

小麦畑は養鶏場の下の1反の南傾斜地である。昨年まではミカン畑だったところを、畑に作り替えたところである。畑には養鶏場の充分に風化した床を入れた。1年以上経過したところだから、鶏糞と藁の堆肥カスともいえる。そのくらいがいいと思っている。800キロ入れた。入れてからトラックタ―で浅く細かく漉き込んだ。そこに播種機で播種。12キロの種を使った。かなりの厚蒔きである。それが11月11日のことだ。それから、10日ほどできれいにそろって発芽した。2葉期から3葉期で一度目の麦踏。12月1日に麦踏も終わった。麦踏は気分が晴れるものだ。大勢でやるのだから、話しながらやればあっという間に終わる。この後好きな時に何度でも踏もうと思っている。昔実験で20回ぐらいは麦踏をしてみたが。なかなか良かった。麦踏は、霜で持ちあげられるのを防ぐ。分ゲツを促進する。根を張らせる効果もある。

6条大麦は麦茶用に作る。1畝ばかりである。これで20キロ程度毎年取れるから、麦茶に十分すぎる。もう2畝ほど大麦若葉ように今年は作ってみた。若葉を刈っては鶏にやってみようと思っている。鶏が好むとは思えないのだが、長野で鶏の緑餌にしているおばあさんがいた。冬の緑餌には悪くはないはずだ。麦後は本当はかぼちゃをやりたい。しかし、害獣が多発しているところだから、駄目かと思う。こんにゃくはどうか。芦川村はこんにゃく大尽とうらやましがられた。でも一反のこんにゃくいもの販売が心配である。それならば綿なら良いか。綿をやるとすれば、まずセルポットで苗を作る。1カ月は苗床で作り、小麦が終わったら、綿となる。綿はイノシシが荒らさないところは良いだろう。

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