機密漏洩

   

情報は漏れる。普通のことである。アメリカには「ウィキリークス」内部告発サイトというのがあるらしい。元ハッカーがやっているというから、なるほどと思う。悪智慧が働くというものだ。海上保安庁の情報もそこに流せば、情報提供者はなかなか分からなかっただろう。今度はそういう制度をみんなが知ったということである。今警視庁から、テロ情報が漏れている。隠して置きたいものほど漏えいする。当たり前のことだ。情報は必ず漏れる。そう考えておいた方がいい。不安社会だから、情報漏れによる混乱が、必要以上に取りざたされる。外交情報と言っても、そうだろうというレベルで驚くにあたらない。展覧会の署名帳すら誰でも見れる受付などに置いてはならないなどいう人がいる。どこに置けというのだろう。確かに、来るとすぐ誰が来たのか、チェックしたがる人がいる。情報とはそういうもので、人は何でも知りたがりというものだ。

不思議な勧誘の電話が入る。絵や彫刻関連が多い。○○先生に推薦されましたので、産経新聞に写真入りで掲載されます。フランスの○○宮殿で展示されます。つきましては、50万円ほどお金が必要ということになる。詐欺的商法である。境目の似たようなものがあるから、困る。漏れているどころか、公開されているのだから、当たり前のことである。電話帳にだって出ている。昼時が多い。一番居ると考えて狙い撃ちである。昼寝をしている時など本当に迷惑この上ない。○●保険が週に一度はある。金儲け話もある。電話という物を止めようかと考えるときがある。メールに一本化そろそろ出来そうだが、遠くの親せきなど音信不通になりそうだ。電話帳も個人名の方は遠からず無くなるのだろう。自治会の名簿と、住宅明細地図は便利に使っているが、あれも無くなるのだろうか。不安社会は誠に不便社会でもある。

農の会では名簿は作らない。会員の把握はしない。こう決めている。各田んぼで連絡を取り合う。大豆の会も、お茶の会もそうだ。せめて一本化しない。だから本当に親しい人なのに、住所も電話番号もメールアドレスも知らない人が、大多数である。今もお茶を送らなければいけないのだが、住所が分からないからあきらめている。自分が勤務している会社の同僚社員が把握できていないというようなもので、なかなか良い。生ごみクラブでも名簿で四苦八苦している。行政のモデル事業で集まった人である。その情報は使えない。改めて情報を個別に登録してもらわなくてはならない。これが出来ない。だから連絡を取るということが遅れる。必要なことを知らなかったという、人がたくさんいる。受け取る側は行政がやっているのに、何というかたよりだということになる。

情報というものは、本質的なものではない。なくても暮らせる。国民がすべて番号を持つ方が確かに便利だ。管理社会では必ず必要なものだ。ないということが価値がある。日本の社会はなくてもやっているのだ。その分の手間暇がかかっている。その手間暇は必要なものなのかもしれない。合理主義だけでは通用しないのが、この人間社会である。どこもかしこも日が当たり、グレーの薄暗いところがないのでは、絵にならない。効率を重視するあまり、情報で動く社会になる。北朝鮮の本質は、どう情報を積み重ねても疑心暗鬼を増すばかりである。どこかであきらめる。受け入れる。折り合いをつける。そうした心の持ちようを失うことは、息苦しくなるばかりである。畑をやっていると、そんなことは当たり前だと、毎日教わることになる。

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