欠ノ上田んぼの田植え
欠ノ上は私の家から、1キロほど久野川を下った所にある。欠ノ上はカキノウエと読む。かきと読むにしても、崖の上という意味であろう。東海大学の下の辺りも欠ノ上という。どうも上とはいいながら、がけの下に位置する場所と推測する。珍しいようだが、案外沢山ある地名である。諏訪の原から、久野川に下る南斜面の広がる恵まれた場所である。古い時代から、この崖からの湧水の水位に従って、暮らしが広がっていた事だろう。今部落が広がっているあたりも、田んぼが広がっていたに違いない。そうした水路のあとが、集落より上の方にまである。立派な観音堂がある。その観音堂から、真っ直ぐ川を見下ろしたところが、欠ノ上田んぼである。小田原で一番美しい棚田の田んぼである。舟原も坊所もなかなかないいのだが、正直欠ノ上には負けそうである。久野川との関係がいい。田植え籠を洗おうと置いておいた中に、忽ち油ハヤが飛び込んだ。
田植えは延べ人数で、60人くらいいただろうか。8時から、4時までかかった。田植え準備だけにミッシリ1週間かかった。岩越さんと山室さんが力と気持ちを尽くしてここまで持って来た。この二人でなければ出来なかった、と言うのは本当に大げさでない。殆ど土木工事であった。水土事業である。きわめて総合的で、あちらを立てればこちらが立たずで、大変なことだったと思う。新しく田んぼを開くと言うすべてを考えたら、半年かかったと言うことに成だろう。水路の関係がまだ落ち着かないほど、地形と田んぼが難しく入り組んでいる。昔の姿に戻せれば最善と思い。出来る限り改変しないで、水路と田んぼを再現している。この再現には、菊原建設の力が大きかった。早速上手く田植えが出来た事を報告したら喜んでいた。地域の人が、水土についてとても心配してくれた。水害まで含めて、長年苦労してきた様々を含んでいる事だろう。
40年近く畑に変えてあった場所。土は客土されているようだ。田んぼの土になるには、長い年月がかかるだろう。根気よく育ててゆく事になるだろうが、田んぼの前歴の無い土壌がどのようになるかも、田んぼの良い土とは何かを考える上で、却って興味深い所がある。今年は臭い。土壌が臭う。畑を田んぼにした時の以前の臭いが蘇った。微生物の構成に変化が起こる。ありがたいことは田んぼ雑草が無いこと。あり難い様だが、田んぼの草が現れるまでの頑張りともいえる。土が良くなれば、田んぼに相応しい雑草も呼ぶ。むしろみかん畑であったという、上の1番から4番までの田んぼが、粘土分が多くやりやすい。これは客土がないという事だろう。上下の田んぼの水温の違いも大きいことになる。
それにしても苗がいい。がっしり苗とはこのことである。バリバリしていた。色も爽やかで黄色い苗であった。田植えが終わり、みんなでセルトレーや田植え籠を洗っているうちに、ソバカスを撒いた。今年に関しては、抑草についてはおまじないのようなものだが、一応は撒いた。一回でいいのだろう。どうせ草は出ない。深水もいらない。浅水管理で稲を育てる方が先決かもしれない。早くトロトロ層を作ることが大切である。土の臭いの変化の観察。土の手触りの変化。生き物の登場。充分に観察して行く必要がある。新しい田んぼを見ることで、発見があることだろう。楽しみは尽きない。岡本さんの田んぼも、その下の畑もなかなか良くなってきた。今日は、出来ればサツマイモを植えようと思う。あんのう芋の苗がいくらか育った。