桜便り
東京できのう3月22日のさくら開花宣言である。横浜や八王子も22日の開花。大阪では既に21日に開花したそうだ。小田原はまだ数日はかかるだろう。開花宣言から1週間もすれば、満開となるから、3月中の花見となるのは間違いがない。これは最近普通の事になっている。さくらが咲くころに成ると、気持ちが浮き立ってくる。さくらと、入学式の光景が結びついていて、4月7日が自分の中の、さくらの日である。しかし、これは子供の頃の育った地域で全く違うのだろう。日本も北から南まで広いから、5月の花見は今でもある。ずいぶん昔になるが、栃木、福島、宮城、とさくらを描きながら、東北を旅行したことがある。母がまだ元気で、鶏の世話をしてくれたから出来た事だ。5月の連休に上手く桜が咲けばと言うのが、北東北の花暦である。桜の季節の最後は、利尻富士のさくらだったかと思う。5月も半ばとなる。行ってみたいものである。
南の方のさくらも、描きに行った事がある。忘れられないのは、岡山の奥の醍醐のさくら。さくらを守る集落の存在の方が、とても強く心に残っている。平戸のさくらも懐かしい。どうしてもキリシタン弾圧の悲劇と重なる。さくらは華やいでいて、明るい花が第一印象ではあるが、空気を凍りつかせているような静けさも持っている。あの黒々としたごつい樹の姿と、一瞬の華やぐ開花の季節のアンバランスが、想像を広げてゆく。とても絵に描きにくいのがさくらである。絵にしやすいのが、杏の白い花。遅いほうの桃の桃色も絵になる。さくらの白いような、僅かに薄紅色というか、あの微妙な色がなかなか手強い。もちろん、桜色に描いたのではどうにもならない。一番さくらを描いた場所は当然、山梨である。起伏のある、さくらの後ろには必ず山がある風景が、面白いのだ。面白と感じるのは見慣れているからと言う事かもしれない。やはり、さくらは記憶を呼び起こす。
さくらと言えば、上野と水彩連盟も繋がっている。あの花見の雑踏の中を、一日が終わって帰るときの高揚感のようなものが思い出される。水彩連盟展は六本木に移って、私も退会する事になった。いつか辞めるのだろうとは思っていたが、水彩人を選ぶのか、水彩連盟を選ぶのか決める事になった。自分の絵にとっていくらかでも、為になるのは水彩人である。水彩人を選んだ。辞めるだろうと思っていたのは、春陽会で中川一政氏の退会の挨拶を伺っていたからだ。「もういいだろう。」こう何度か言われていた。良く意味はわからなかったが、心に留まった。団体展というものが、もういいのか、自分が関わるのが、もういいのか、この辺は分からなかったが、ともかく辞める時期というのがあるらしいと思った。絵を描き通すと言う事は、さくらではないが、ゴツゴツくろぐろしたものと、やけに華やいだものとが、混在している。
さくらソングがはやりのようだが、それは卒業ソングらしい。私のように、入学のイメージが強いものには、少し違う。思い出したくも無いが、思い出さざるえない部分、さくらと言う日本国である。花がさくらを意味するのは、平安時代からのようだが、花を桃とした、中国人との感性の違いが面白い。しかし、ここで意味するさくらは、山桜であろう。土手や公園の一面のさくらではなく。新緑の中に突然浮かんだような、さくらだと思う。だから花吹雪のイメージではなく、きわめて控え目な、ひそやかなものである。はっと気付かされる、自然の持つ再生のすがた。これから大地が開けてゆく事を宣言している山桜。マメザクラの一種だったのか。山梨でも、山北でも、普通にあった。やっと芽生えてきた甘い梢の、微妙な色合いの中に、霞を掛けたように実にひっそりと咲く、さくら。日本的と言っていいだろう絶妙な、調和。日本人の美意識が変ってゆくように、今桜は一面に咲き乱れ、花吹雪となって散らなければ気がすまないことに成っている。