久野の住宅地販売
久野での住宅地販売は、不景気とこれほど言われている割には盛んだ。新築している家は、舟原で今2軒ある。私が越してきて以来、舟原ではどこかで家を建てている状態である。それほど大きな宅地が開発されるという訳ではないが、数件の家がまとまった形で途切れることなく建てられる。エコプロダクツの久野の紹介コーナーでも、久野あたりに越したいと思っていたのですよ。こう言う人にお会いした。他の方の話でも、定年なので、こういうところに住みたいと思っているのですよ。という話を聞いた人が多かったようだ。移ってきて10年暮らしているが、とてもいい場所を選んだと思う。それは農業が出来て、東京に近いと言う事に尽きる。変な話だけれど、平塚より小田原の方が東京に近い。新幹線が使える。新幹線通勤と言う事もあるが、私のようにめったに東京に出ないものでも、状況次第で、新幹線を使えるメリットはある。山が近い。海が近い。農地が近い。東京が近い。東京で新年会に出ても、家に戻れる。
今は舟原の私の家の直ぐ下が、宅地販売されている。6区画である。一区画が50坪くらいで1200万円ぐらいのようだ。これが、既に3区画販売が終わった。この調子なら、後3区画もいずれ売れそうだ。日当たりの良い、バス停の前の住宅地だから悪くはない。悪くはないとは思うがが、この不景気である。売れるのか売れないのか、興味シンシンだった。たまに地域の人から、どうなったと聞かれるのだが、3区画売れたと思うのは、ホームページを見てそう思うだけである。販売している会社の藤建というところの人とは、最近顔も合わせていない。もともと、ここには大きな農家があった。一軒である。その一軒を、道路を作ったり、大きなよう壁を作ったりした上で、50坪が6軒である。400坪はある大きな屋敷だった訳だ。その家は、私の今住んでいる家と一緒で、昭和の6年ごろに建てられたものだったらしい。大体に、足柄平野の古い民家は昭和初期が多いい。もちろん瀬戸屋敷のような、関東大震災でも大丈夫だった家は別だが、大半の家が大震災で使えなくなった。
それで、古民家と言う立派なものでなく、私の家は古いだけである。それでも大黒柱は下の家もそうだったが、30センチ角の欅である。作りはビックリするほどどこも同じで、田の字型の4部屋があり、回りに廊下があり、東側には土間がある。4部屋の大きさがいくらか違うぐらいで、その他はまるで変わらない。トイレは西側に大体はある。入り口は南側だ。南側が道路から見て入りにくいにしても、それだけは変えないで、北側のお勝手口を日々の出入りにしている家も多い。この作りの家が暮らしにくいというのは、住んでいる人は誰でも口をそろえる。寒いとか、湿気るとか、そういうのもあるが、プライバシーがないというのが、お嫁さんが来たら住めなくなる。敷居と言うのは全て襖か障子である。それで、大体の家では土間続きに、南北に長い新居を建て増す。こちらが若夫婦の家、という訳である。そしてその家は、その母屋とはだいぶ趣が違う。多くの場合今風である。ともかく、建て替えに際して、住宅が販売されるようだ。
今度始める欠ノ上や舟原の田んぼでも、東京への通勤という家族が、4家族ある。若いお子さんのいる家族であるが、始めから農的生活を考えた上で、小田原に越してきている。こういう変化はここ3,4年の事だと思う。そういう今までには語られていただけだったような暮らし方を、実際に選択する家族が、出てきているのだ。そういう方は、ある意味農の会のことなども、事前に知っていたりする。様子を見ながら、自分の暮らしを見定めながら、かかわりを探っている。小田原の空気を変えてゆく存在になる可能性がある存在ではなかろうか。「イエーツの家」が正月のテレビで紹介された。こういう別荘風の視点は実は少し違うと思っている。小田原の方角の本質をとらえてはいない。小田原の魅力は、暮らしを含みこんだの魅力である。この感性を持った、若い家族が誕生しているから、小田原に新しい住宅を求める人がいるのだろう。