小田原「お勝手連」
お勝手と言うと、台所の事である。お勝手雑巾とか、お勝手箒、お勝手場、お勝手口。子供の頃の我が家ではまだ普通に使われていた。江戸幕府では台所をあずかる役所を勝手方といったのは、経済を少し下に見た、武士の精神では公務ではないと言う意識があったのだろう。御用聞きが勝手口に来る。台所に直結した出入り口が別にあって、それが勝手口。家計を預かる主婦という意味と結びついている。最後に頻繁に使われたのは、勝手連である。当然女性が中心で、選挙運動の市民の自主的支援の形をそう呼んだ。勝手に支援しているので、候補者の指示で動いているのではない。美濃部都知事の頃で来た気がする。先日、小田原の銀の道とかいうお店で、集まって談話する勝手連らしき会があった。「お」を付けた所がその人達のセンスだろう。その集まりに話題提供者と言う感じで、参加した。とても、聡明な小田原夫人の、そういう集まりだった。久し振りに談話というものの価値を深く認識する事になった。
とても感覚的な会話なのだ。論理を飛び越えた飛躍がある。その飛躍や連想がとても生きている。生きている会話という物は、男が行いがちな、ひち面倒くさい、小理屈の叩きあいになるような会議と、呼ばれるようなものと違って、精神の生産性が高い。未来と言うのは、未知の世界なのだから、理屈だけでははかりかねる。感性的に飛び越えて、意外なものが自然に結びついてゆく。とてもいい刺激になった。そんな状況だから、その内容がどうであったかと言うようには、到底まとめられない。大まかに言えば、農と食である。それは私がそうした分野の人間で、そう言う事を話題提供したからである。そこを基点に広がってゆく反応の方が面白かった。男性が考える小田原ブランドとは、相当に違う。綺麗なおばあさんがいる町ってすごい。こう言われた人がいた。
小田原への愛情が熱い。その愛情の種類は街場のもので、農村地域とは少し違う。農村地域では愛情は愛着、所有と繋がっている。自分の農地とか山林とかが、存在する地域。祖先との繋がりへの愛情と言う感じがある。街場の愛情はもう少し違って、そこにある日常の暮らしへの目が感じられた。女性が他所の地域から、結婚して小田原に来た場合もあるからであろう。そこで出た話ではないが、合唱のサークルの楽しさ、お祭りの思い出、料理の事や食材のお店。全ての話が、日常との連想で会話される。この発想の方法がとても参考になった。学校給食が何故、米飯にならないか。小田原がいつまでも週2回を何故抜け出せないのだろう。などと私は話題を提供した訳だが。小田原のお米は美味しい。この話になった。そこから、小田原のお米を評価するには、小田原の物語がいると言う話になって。私にはその物語が、地域JASだと思えた。
国のJAS規格は農薬や、化学肥料を使わない。何かをやらないと言う、マイナス方向の基準である。小田原には何と何がある。何をやった。どんな人が作っている。どうやれば美味しい。地域のJAS基準は、プラス方向の物語づくりだ。小田原めだかはとても貴重な資源になる。かえるやトンボも地域JAS基準だ。なるほど秋田の「美少女米」が売れたというのは、これだと思う。いくらなんでも美少女が作っている訳ではない。「あきたこまち」の連想であろう。購入者が若い男性なので、米の炊き方が、袋の裏に書いてあるそうだ。食べて美味しければきっかけになる。山女の来る田んぼ。舟原田んぼ。そういえば、今年はついに来なかった。岩手ガンコ米。と言えばブランドになる。小田原かまぼこが信頼のブランドになるためには、小田原が信頼の街に成ると言う事だろう。
昨日の自給作業:大麦の播種。アマランサス、さくさく太郎の種取り。畑の片付け等3時間。累計時間:3時間