農業ヨーロッパモデル
民主党の戸別補償の基本的な考えは、ヨーロッパモデルだそうだ。いよいよ予算と言う形で具体像が表れる。先ずは、お米だけと言う事らしい。お米からと言うのは考えやすいと言う事もある。対象農家数が多いいと言う事もある。参議院選挙前にというイソギ働きの感もある。日本の農業をどうするのか。こう言う事が充分議論されて、国民の合意ができたというところには程遠い。100%食糧自給の国。これは将来の方向としては、国民のほぼ合意ができてきた気がするが。自給の実現が税金によって行われると言う事までは合意されていない。ヨーロッパは戸別補償で大きな税負担の元に、自給率が回復した。70年代後半、職業世襲90%と言われたフランスでも、若者の農業離れが盛んに言われていた。ドイツでは耕作放棄地が広がり、危機的な意識が高まっていた。この危機に対する国民の反応は今の日本とはだいぶ違う気がする。
背景が日本とは異なる。農業の構造改革が可能であった点。食糧自給の税負担に対して、国民の合意が早かったこと。現実何が違うのか。日本の稲作農家の50%は水田の収入はマイナスである。赤字であるのに、いくつかの理由で稲作を止めない。構造改革が出来ない理由はここにある。一番の理由は、日本人の土地に根づいた生き方であろう。薄れてきたとは言え、まだ強く日本人の暮らしの根にある。そしてそういう生き方に対し、ときどき、宝くじが当るような朗報が聞こえてくる。ダムが出来たり、新幹線が来たり、文化センターが建てられたり、あるいは都市化の波。何となく戸別補償。その待ちの姿勢を保てる、相続税の優遇。もちろん農家批判をしているのではない。土地に根づいた日本人らしい、勤勉の倫理観の形成。こういう農家の心情に配慮しない限り、戸別補償が悪い形の存続になりかねない、と言うかなりの人の不安の存在。ここが明解でない。
ヨーロッパはモデルにならない。むしろ、モデルにするなら、ロシアかキューバである。政策としての方向は、現状自民党の残した、アメリカ方式である。企業参入で大規模化、合理化、国際競争力。アメリカ方式がいかに日本の現状に合わないものであったかは、今の現状を見れば結論は既に出ている。参入企業に出した補助金はムダガネであった。大企業が利益だけを考えれば、中国やベトナムやタイで農業生産をするだろう。海外進出までは考えられない、地域の小さな建設土建会社が仕事と人員の調整のため、農業参入することは小田原にもある。ところがこれでは、構造改革といえるような農業にはならない。日本の農業技術は相当にレベルが高い。昔はやったという位では、それに専念している大規模農家に太刀打ちなどできるわけがない。「土地はあるので、養鶏場の管理をやってもらえないか」という新規事業の話が、以前企業からあった。やろうとすればこう言う事になるだろう。
日本の農業の再生は、地域主義だ。地域に任せるべきだ。きめ細かく行わなくてはならない。日本全体を同じ方式では出来る訳がない。舟原の農業をどうするか。こうした積み上げをしてゆく以外に道はない。中国はこの方式である。集落一つ一つが会社のような形であり、運営されている。舟原の農業を云々など、とても外来の私が発言できない。国の事、県の事、小田原の事。このアタリまでなら差しさわりが少ないのだが。久野と成ると少しハードルが出来る。まして舟原の事まで来ると発言できない。この発言できない現状の何層も上に国の政策が乗っている農業の現実。それが日本なのだと思う。これを問題だと言うより、その良さを生かせるような農業の道でない限り、展望は生れない。昔にもどれでは、息子は出てゆく。息子が農業をやるので喜ばしい。このように思える地域を作る以外にないと思う。
昨日の自給作業:里芋、サツマ堀、芋穴の扉を作る1時間 累計時間:4時間