西松建設と小沢代表
いかにもという事件で、政治資金規正法がない時代は、おおぴらにやられていたことだろう。こうして、不用な公共事業が作り出されてきた。国土も無駄に破壊された。要らないダムが作られ、使いもしない飛行場が作られ、要らない保養施設が作られた。農業が衰退する過程で、農業人口は土建業で吸収されていった。地方では産業が公共事業という地域は、一般的である。農家の人が起業する場合でも、建設関係が多い。西松建設という中堅の会社が、公共事業の受注に社の命運をかけていたことは、想像できる。公共事業に影響あるのは、政治である。公共事業を受注しようとしたなら、政治家に繋がろうとするのは、営業の手段であろう。もちろん、発注もとの行政には色々やっていて、頻繁に収賄事件が明らかになる。政治家がその利権の元締めのようなものだろうから、公共事業がほしいものは、群がる。それが田中角栄氏の日本列島土建国家論だ。
自民党も民主党も何ら変わらない。小沢党首はまさにその渦中の人だ。何時自民党が手榴弾を投げるのか。そう思っていた。当然、身内も巻き込む市街戦になる。国民の誰もが、自民党はそうしたことはやらないなど、誰一人考えていない。民主党に変われという背景には、停滞した水がよどむという事が大きい。利権が固定化されれば、汚職も広がる。だから時に変わったほうが良いという判断が大きい。小沢氏の弁明は、法に触れないよう工夫している。こう言っているに過ぎない。次にでてくるのが、政治には金が要るだ。金が要るのは、つまり国民が愚かで、金が要ると言っているようなものだ。今小田原では、桐島かれん氏のポスターが何千枚も貼られている。見苦しい限りだ。政策がどういうのかは、知らないが、こんな無様なことを平気でやるのが、今の政党政治だ。法を遵守していたのでは、当選できない。すれすれなら平気でやる。これを許すから、政治家はいい気に成る。
小田原の市長選挙では、自民党、民主党、公明党、が相乗りした候補が敗れた。一切の党の支援を拒否した候補が当選した。既成政党への失望感は、限りないものが広がっている。遅かれ早かれ、自民党も民主党も崩れ去るだろう。そこまで国民の意識と乖離している。例えば今の状況なら、小田原の衆議院選挙に、露木開成町長が立候補したなら、間違いなく当選する。ただし、一切の政党を拒絶した場合だが。公共事業はお金がないのだから出来ない。無理やり国債を発行した所で、せいぜい1、2年の事だ。今は時代が変わろうとしている。資本主義の息詰まりが来ている。景気が悪いのではない。価値観自体が変わろうとしている。そのことに気付いて、先の見通しを変えない限り、悲惨は深刻化する。
今回の事件で、いよいよ政治への失望が広がる。シラクサの老婆の話を思い出す。神頼みでは、必ず今より悪くなる。いまだ、国民全体が土建的発想からぬけきれない。そこに付け込んだ事件、それが表面化した事件。松下幸之助氏が国土建設隊を造る構想を述べたことがあった。若者は国土建設の為に、多くは埋め立てて国土を広げる話だったが、その作業を義務化せよ。と言うものだった。本当にやっていたら、ラムサール条約はどうなったか。大きな方向が違っている。拡大とか、上昇とか、そうした価値観が戦後の日本を作った。しかし、その行き過ぎが安定した暮らしを、見失わせた。外にばかり向う精神が、内側たる自らの暮らしの空洞化になった。日々の暮らしと、行動が、繋がりを失う。暮らしの原点に戻れば、何も怖ろしいことはない。何が大切かが見えてくる。
昨日の自給作業:畑の整備1時間 累計時間:4時間