赤峰勝人氏となずなの会
赤峰勝人氏となずなの会昨日開成町の福祉会館で後援会があった。あしがら農の会の仲間の田中大樹さんは、東京農業大学を卒業してから赤峰さんのなずな農園で2年間研修生として学んだ人である。有機農業をやるためには農業大学をでてから、さらに研修を2年もしなければならないというのが、現状だとすると大変困ることだ。昔なら、親と共に働きながら覚えたものだったはずだ。有機農業では今はそうした継承はほとんどなくなっている。田中さんは10月に福太郎君が産まれて、その幸せ感を一杯にして、師匠の講演会の準備に飛び回っていた。昨日もその喜びが、全身からあふれていて、オーラがあふれ光り輝いて見えた。そうした彼の力が親方と呼ぶ、赤峰勝人氏から授かった物であることがうかがえた。赤峰勝人氏は元気な農業者だ。充分畑で働いている人だった。その点は山下惣一氏も同じだったが、川口由一氏は農業をされている人のようには見えなかった。もちろんされている。
こうした絶対的な力量のある農業者に学ぶと言う事は、人生を学ぶと言うことだろう。今の時代では珍しい姿。到底生意気者の私のようなものには出来ない。なずな農園では弟子には、(研修生ではなく弟子だと思う。)先ず徹底的に体力を付けさせるらしい。身体で覚える式の農業修行のようだ。我々の間では、最初は金太郎で通っていた田中大樹さんだ。最近は金太郎振りでもない。昨日は久し振りに金太郎に戻っていた。有機農業者として新たな道を開くことは、あの赤峰氏でも12年かかったそうだ。当然普通の者が新たに道を開くと言う事は、12年以上かかると言う事になる。その12年は巣立ったそれぞれがそれぞれの力量で切り開く、赤峰さんとは別の道であろう。又そうでなければおもしろくない。赤峰さんにが蒔いている種は、枯れることも、親株以上になることもあるだろう。
愛知の新庄だかで新規就農された、田中さんと同じ頃修行していた、星さんという方が参加されていて、色々話をすることが出来た。これはとてもありがたいことだった。この方は赤峰さんが講演の中で、新規就農3年目で、10俵とったと言う方だ。10俵取ると言う事は、赤峰さんがわざわざ講演の中で伝えたくなるほどの事だ。話してみれば星さんも悩みは色々あるようだ。当然の事だ。これからの農業を考えれば、そう簡単な事ではない。経営の事もあるだろうが、それより農法の事で考えることがあるようだ。所変われば農法も違う。なずなでやっていたときの通りとはいかない。自分流も当然でてくる。又でてこないようではおかしい。そのあたりの感触が、とても参考になった。
赤峰氏が言われた「田んぼのコナギはその内無くなるから心配いらない。」まだどういう意味か頭に残っている。コナギに覆い尽くされる恐怖にさいなまれているから、とても気に成る。やはり名人なのだろう。竹林は竹が作り出す。ミネラルによって、竹が必要なくなれば、自然に消えてゆく。ススキはススキが作り出すミネラルによって、土壌にそのミネラルが充満すれば自然消えてゆく。遷移の事をいわれているようだが、時間の単位が、農業とは、人の生命とは1万年ぐらいのずれがある。果たして植物がミネラルを作り出すというのは、幾ら赤峰氏の深い経験から割り出したとしても、にわかには信じがたい。このあたりの飛躍が宗教といわれるゆえんであろう。しかし、こう言い切ってしまうところなのだろう。開成福祉会館の会場に立ち見が出るほどの盛況であった。