小田原市遺跡調査発表会
かもめ図書館で講演と展示が行われた。農の会の田んぼの仲間でもある、S夫妻が小田原市の教育委員会の文化財課に関わり発掘調査など行っている。ご主人は今年の岩宿文化賞受賞者である。婦人は先日の八幡山遺構の見学会では颯爽と説明役をされていた。2人がライフワークである考古学で活躍されていることは、農の会の誇りである。農の会が地域主義で活動してゆく上で、この地域の昔の暮らしはとても大切なことである。おりにふれて地域の昔の暮らし解説などして頂いている。今年の展示では千代寺院跡と千代遺跡群 の事が展示の中心であった。千代寺院は、八世紀に地元の豪族が造営したものとみられ、奈良・平安時代の地方支配の拠点だったと考えられている。丁度永塚の坂の上の交番のあたりのようだ。永塚田んぼあたりを睥睨するように大きな寺院があったことになる。
相模湾が切り込まれていて、船着場のようなものが、今から思えば随分内陸部にあった。大きな船泊まりがあることで、たぶん関東の入り口の要衝になった。ここらら西の先進の文化が広がっていったのではないか。その証拠の一つが、縄文後期の古い籾の発見がされている。と言うような話をSさんの説明で伺った。そのときいつの時代も小田原は文化の交流拠点としての重要位置にあるのだと思った。時代が下がって北条の時代には、文化的にも独特の発展があり、小田原らしさの基盤と成っているのではないか。庶民の暮らしや感性は長い年月の暮らしぶりによって培われてゆく。小田原評定のような、悠長な議論や、蒸し返しこそ。結論を先延ばしにする、浅薄な行動は取らない。今に到る知恵なのではないだろうか。
出土品から見る暮らし。最新出土品展2008「宿場のくらし、城下のくらし」の展示は、まさに昔の暮らしが実感できるようだった。触れる展示が画期的だ。縄文の遺物から最近の物まで、生活器の破片が触れた。やはりその作りは触って見なければ判るものではない。須恵器の轆轤技術の卓越なところにビックリ。あのもろい土質をあの形に成型するのは至難な業であろう。縄文の土器の紐の練り上げが指に感じられず、成型方法がなんとも不思議だった。江戸時代の鳩のおもちゃやら犬の水差し。文化の深いことに驚く。こうした何気ない物に到るまで、深い文化的な厚みがある。失った物の大きさに愕然とした。
リアルさが違うのである。形を正確に写せば、造形だと思うような奥行きのない、判断力を失ったような、芸術思考などのかけらもない。いつの時代も、新しい文化の衝撃を受けて、自分達の過去の文化の重みに自信を失うと、写真的なリアルさに逃げ込む。正確であることや狂いのないことに逃げ込む。ロシアの文化を内在するイコン画が、レーピンになってしまう情けなさである。それはどの文化も、異文化の洗礼を受けて起こることだ。中国の少数民族の現代絵画もそうであった。岸田劉生が一つの好例で、写真的実在表現に寄りかかりながら、江戸的文化を濃厚に持ち合わせる。この分裂が晩年の崩壊に到る。江戸時代の庶民の文物には、そうした無理がない。自分たちが親しむ形が、素直に作品の造形につながっている。江戸期の庶民の豊かな情緒性が、陶器の破片ににじみ出ていた。小田原のくらしがああした豊かさに、戻れるだろうか。
昨日の自給作業:大豆の脱穀2時間 11月の累計時間:27時間