自給の思想
三人の方から、自給の考え方にもご意見がありました。刺激され、書いて見ようと思います。江戸の循環社会の事を考え始めたのは、自給の生活を始めてみて、それが意外に、簡単に実現された事がきっかけでした。1人の自給は2畝の耕作地と2時間の労働で可能。全く石油燃料は使わず、シャベルと腕力だけで山を切り開く所から、始めてみました。たぶん江戸時代の農民より、知恵のない自己流のやり方でした。その後も自給のより合理的な形を模索して、生活を続けているわけです。2時間はいらない。1時間で可能なようです。これが最近の経過です。もちろんこれは、食についてであって、衣料や、住居については、又別です。家については実際に最小限の家を建てることで、どの程度の作業になるか進行中です。衣料について追々始めたいと思っていますが。最近アルパカを飼ってみないかという話があるので、1頭から、5着の服が出来るというから、やって見たいところです。
ともかく、食自給は難しくない。それでは、何故江戸時代の農民が、飢餓の毎日苦しんでいたのだろうか。こう考えるようになりました。租税だろうか。加えて小作の形で搾り取られていたのだろう。始めはこう考えたのですが。これが調べ始めてみると、現代の租税より場合によっては安い。5公5民といわれてきたが、実質的には10%位のものだという説もあり、江戸の農民が租税や、小作料で絞り上げられたというのは、幻想らしい。収穫量の増加。新田開発。換金作物。薪炭などの農外商品。様々な工夫で、実態の税は今よりも低い。猪瀬直樹氏は、「日本の貧農史観は、マルクス主義学徒に原因がある。」こう言い切る。同時に皇国史観も指摘している。「旧政権の徳川幕府の否定のためと、徴兵制度、富国強兵には士農工商を陋習として、際立たせる必要があった。」2つのイデオロギーが補いあって、貧農史観という固定観念が形成された。
長年鶏を飼ってきて、日本鶏の多様さと、文化的な深さに驚かされる。日本鶏を作出固定した、江戸時代の改良の技術は、今では再現できないほどの、高いレベルのものだ。世界の鶏改良の歴史を見ても、このような文化的な深さを求めた民族は、数少ない。卵を沢山産むというようなことに価値を見なかった。姿が美しいとか、尾羽が長いとか、蓑を曳くとか、鳴き声が美しいとか、こうしたものにこだわった改良。これは食べるものも事欠く農民の感覚だろうか。そう考えると、江戸期は庶民文化の時代。平安や鎌倉の貴族.武家文化とはおおきく異なる。歌舞伎や、浮世絵、そして洒落本、滑稽本、談義本、人情本、読本、草双紙、寺子屋。庶民の識字率はかなり高かい。搾取され飢餓にさいなまれる農民像が崩れる。
自虐的に日本史を考える、一番の形が江戸時代の貧農史観だろう。日本人はそんなに愚かな民族ではなかった。江戸の農民も豊かで、自主性があり、高い文化的な見識があった。その豊かさを見直すことが、この先の日本の方向ではないかと考えるようになった。江戸の循環型社会の構築は、随分と見直されてきた。長い平和の時代。徴兵制のない時代。公務員を武士と考えれば、今より公務員は少ない。その背景にあった。農業技術の革新や、生産性の向上は、決して現代の農業技術に劣るものではない。現代農業は、農薬と化学肥料の農業の全盛である。しかし、このやり方には、永続性という点で疑問が出てきている。と成ると、参考になる技術は、江戸時代の循環型の農業と言う事になる。自給とは、先ず1人の自給、そして地域の自給、さらに国の自給ではないだろうか。
自給自足社会に戻る事は望んでいません。そのように読める書き方は、反省します。誰もが毎日、1時間程度。食の自給の為に働く。これが、日本という国の自給にまで楽に繋がる。食が確保されれば、あとの23時間は、好きな仕事に打ち込める。私であれば、絵を描く事が出来る。自分のやりたい仕事で、生活できるようになる。日々の農作業が、国民全体に良い精神的バランスを生み出す。強制というのでなく、やりたい人にはそう言う事が許される環境を作る必要がある。農地法を変えて、農的な生活が可能な状況を作り出す必要がある。これは住宅政策。地方への分散。企業の就業システム、全てに及んでこないとならない。私の役割は、ひとつの家庭が、自給しようと考えた時、どういう技術で行えば、合理的に出来るかを整理する事。