六ヶ所村ラプソディーあしがら
六ヶ所村ラプソディーは思いの繋がる。いい上映会に成りました。若い人達が、一生懸命やってくれて、とても良いものになりました。大体に私はあまり役に立たないのだけど、今回も何もするでもなく、おろおろしていました。お茶の準備係りであったのですが。これも全て、小野田さんがやってくださり、全く申し訳ない限りでした。藤村靖之氏(非電化工房)のお話がすばらしいものでした。脱電力に関する、幾つかの考え方を戴きました。これは大きい大きなものでした。お話を聞くというだけで、これだけのものをもらえると言うのはありがたいことです。まだ葉山に居られたころ、安藤さんから是非お話を伺おう、と言われていました。それが今回こういう形で実現できた事は、最高の形をいただけたかもしれません。
脱原発、これにつきます。その手段は一人一人が暮らしを変えることしかない。我が家も電気の総点検を行い。先ず契約電力を下げる事にする。何かおかしい。藤村氏のお話だと、電気釜でお米を炊飯するのを止めただけで、原発が2,5基止められるそうだ。テレビは5基。電気トイレで1基。これを聞いて、電力を出来る限り遣わない決意をした。行動が伴わなければ意味がない。今流行のオール電化住宅これに日本中の住宅が変わると、ご近所に原発がなければ収まらない。日本の政府も電力会社も、増加する電気使用に対し、原発以外に政策が思いつかない。正直私が政府関係者ならそう思うだろう。でも、これは破滅への道。経済の方向に任せれば、暮らしは楽な方へ、快適な方へ、と流れていく。楽はいいけど、もう少し奥にある、深い喜びは少し大変も伴うもの。それを知れば、暮らしを大変だけど面白い方へ、方向を変えられるかも。私は今日から電気使用を減らす。
六ヶ所村の農家や漁師の人達が、暮らしを語られていた。日本全国にある、普通の暮らし。暮らしが変わったわけではないが、都会の暮らしが先ず変貌した。昔の暮らしに基づいた「しあわせ」を、強引に、今の消費的幸福に、錯覚させていった。古い価値観を、旧態依然として何もかも否定した。否定された暮らしにトドマル、地方の暮らしは、都会の生活に憧れて、ゆがまざるえない。大量消費こそ善とし、利とする、経済社会は日本人の洗脳に走る。オオール電化住宅の快適さを幻想させる。ありもしない、便利さに乗り遅れまいと、あせらせる。既に新築の住宅の半数以上が、オオール電化住宅と言う、原発併設住宅。住宅会社は人口減少社会到来で、不用な住宅の建築を幻想させなくてはならない。そこで、オオール電化住宅こそ未来型の暮らしであると、テレビコマーシャルを重ねる。おかしな幸せ感を作り出す仕組み。六ヶ所村でも暮らしを変えざる得ない。
「もみすりクラブ」藤村さんの考えるおいしいお米の食べ方。籾付きのお米を1俵単位で購入する。食べる人が、一年分を籾保存する。それを手動の籾摺り機で籾摺りをする。ここがすごい。早速この手動の籾摺り機は注文したい。籾摺り機は実は江戸時代一番苦労した、農業機械だ。水車でつく方法では時間が掛かる。これと言う機械がないまま、今に至る。土臼というものが中国から、江戸時代に入る。性能はきわめて悪い。それを、藤村さんが手動式で作ったと言うからすごい。これこそ発明家の本領発揮。非電化住宅の話も面白かった。藁を使った野菜保存庫もいい。良くでる、非電化冷蔵庫。これも直接話を伺うと、一段と興味が湧いた。那須のほうである、ワークショップには一度伺いたい。