ほっかほっか亭の名称変更
お弁当のホカホカ亭が、内紛問題で名称が変わるらしい。この名称変更なら、一言言わせてもらいたいことがある。私の父は、事情が重なって、弁当屋を1962年に東京の三軒茶屋で始めた。父はそれは様々な職業をしたのだが、食べ物屋は好きで、たぶん20代で、気象庁の中で食堂をやったのが最初だと言っていた。この弁当屋の名前が、ぽかぽか弁当と言う名前だった。テンプラ屋と言うのもやったのだが、この名前は「天狗」と言う名前で私が提案した。とんかつ屋もかかわったが、これはトン平という名だった。ポカ弁と略称で呼んでいた。このポカ弁のアイデアは、今の弁当屋のチェーン店構想と同じだった。韓国へ強制送還になりそうだった人の、日本でのその後の仕事にするつもりで考えていた。紆余曲折はあったが、その人は独自に仕事を展開して自立できた。きわめて優秀で、父が心配したような事はなかった。
ほっかほっか亭が出来たのが昭和51年。1976年らしい。急に展開して有名になり、ポカ弁の名称を、持っていかれたような気がした。その頃にポカ弁は止めた。父は名称の事を聞いたら、あれは自分も交通公社のホカホカ旅行から盗用したようなものだ。と言っていた。そうだ。父は交通公社の代理店と言うのもやっていた。ほっかほっか亭から、ほっかもっとに成るとか書いてあったが、正確には忘れた。何が背景にあるのかしらない。そんなことはどうでも良い。自分の考えた、弁当のチェーン店というアイデアが、先見の明があったことを喜んでいた。そういう父の考え方を、大したものだと思った。父が死んで、20年以上経つわけだが、難しい問題に成ると、父に相談している。父ならどう考えるか聞くと、明確にこのようにする。と答えてくれる。
版権の問題とか、著作権の問題とか、名称権の問題とか、偽ブランドとか、そんなことはどうでもいいと思っている。そんなものにしがみついているのは、見苦しいと思っている。もちろん偽ブランドを作ろうと言う、さもしさは情けないが、ブランドを守ろうと言う情けなさもある。何年か置きに絵画の世界でも、盗作問題があるが、盗作などと言う事を言えば、日本で今描かれている絵の、ほとんどは盗作だ。丸写しの人も居れば、アイデアの盗用もある。オリジナリティーのある作品はめったに見ない。日本人の特性かもしれないが、大多数の人が元絵がなければかけない。よく言えば職人的で、真似ている事が問題と言うのは、経済の世界の事で、芸術として考えれば、盗用する事も、写すことも、ある人にとっては芸術的行為かも知れない。
そうだ、このアイデアをお金にしようと言う所が、資本主義の嫌な所。良い考えなら、広く誰にでも使ってもらえば良い。独占しようと言う、根性が嫌だ。発明で一財産を作った、と言うような成功話があるが。寂しい事だと思う。私の絵に利用できる場合がある。私の文章を自分が書いたように利用する。大いにやって欲しい。もちろんそんな利用価値はないけれど、利用できると思えば、あらゆる場面でどう使おうがかまわない。それにしても、ほっかほっか亭を作るとき、ぽかぽか弁当の事は知らなかったのだろうか。使われて喜んだ父は自慢していたが。同じような時期同じような考えは、出てくるものだろう。そう思うと、ほっかほっかの名前はもう時代は過ぎている。老舗とか、弁当屋はそんな性格のものでもないだろう。