レインボープランの菅野さん

   

昨日は朝起きると留守電があり、菅野さんが早朝に見えると言う事でした。今日は小田原に見えて、講演があると言う事だったので、講演は伺うつもりでしたが、忙しい中、わざわざ自宅に来ていただく結果になり、申し訳ないことになってしまった。菅野さんが現代農業で、鶏の事を連載し、その刺激で、冬眠から起き出したもので、失礼ながら手紙を書いたことが最初の、ことだった。その後その連載が終わり、私が現代農業に連載を書く事になった。だけど直接お目にかかるのは、始めての事だった。でもお会いしても、何十回とお会いしていた、としか思えなかった。懐かしいと言うか、久し振りにお会いしたような感じだった。これだから生きていて面白いと思う。良い人とお会いできて、すばらしいものを沢山戴けた。菅野さんから、直接山の神様の話が聞けた。発酵菌の事を山の神様と名付けたのも菅野さんだ。

時間的な脈略がいつも混乱しているが、自給自足が達成できて、さてこれからどうして、と言うような気分で、現代農業を読んでいた時期だと思う。不可能と思っていた、自給自足が、あまりに簡単に出来てしまって、さて、この後の展開はというような気分だったと思う。まだ、半分眠っていたのだろう。今まで自分は洗脳されていた。生きることがどれほど困難な事か。と言うように思っていた。それは、食べ物の事だけでなく、もろもろあったのだと思うが、先入観が取れたような、アレコレが新鮮に見え出した頃だ。たぶん菅野さんの頭はレインボープランで一杯だった頃の事だろう。頭だけでなく、レインボープランの立ち上げで、走り回っている頃のはずだ。わざわざ電話を掛けてくれた。

レインボープランの肝心な所は、市民自治と言う所へ、生ごみの事を通して、進んで行ったことだろう。一人一人が生きると言う所と、地域と言うものを、ごみと言う糸で、結んだ事だろう。ごみを見つめてゆくと、地域の姿が見えてくる。ごみ処理の方法は、実は生き方の方法だ。山形県の長井市という、純米作地帯だ。国の農政の無策の結果を、極めて困難な形で、背負い込んでいるはずだ。都会に農産物を出荷して生きる。その長井市で、食の地域循環を提唱した。足柄地域以上に困難な、条件の中、レインボープランは生まれている。誰もが、思うのは何故出来たのだろう。と言う不思議さだ。講演を聞かせていただいて、だいぶ理解できた。菅野さんという人間の、大きさだろう。人を動かす情熱のエネルギー量だろう。そのエネルギーが、批判や攻撃に向かわず。前向きな希望の力になっている。

足柄では、まだ歯車が噛み合わず、色々な力が、空を切っている。この足柄地域は面白い力に満ちているのだが。それが、なかなか希望と言う、1つの所に寄り集まると言う事が出来ないでいる。たぶん長井市の多くの人が、菅野さんのと言う人間に、希望の拠り所を見たのだろう。この地点でやってみようと、踏み切れたのだろう。長井市は当然米飯給食だそうだ。小田原では子ども達から、アンケートを取ると、パンが好きだから、米飯には踏み切れない。これが、給食の実情だ。つまり、困り方が足りない。切羽詰りにくい。まだまだ、行き詰まりが足りない。本当に困るまで、新しい事に踏み切る事は、誰にとっても辛い。生ごみを集めると、匂いが問題だ。出来た堆肥をどう畑に戻せるのか。ちゃんと分別をしないだろう。問題点から入る内はまだまだ、間違った余裕をみている証拠だ。もうそんなには時間がない。

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