廃棄物会計

   

必要で判らないものに、会計学と、免疫学がある。この2つはどうも日常とは異なる論理で形成されているらしい。学問と言って両者とも実学。分類学とか、数学とか、純粋学問に較べると、近寄り安いようで却って理解しがたい所がある。日常につながっているようでいて、論理構造が異なると思ってきた。昨日は廃棄物会計についての勉強があるというので、緊張して出かけた。相当難しいことは覚悟していた。所が伺うと、会計学は難しすぎて、参加者には端から無理と言う事で、その概略の説明と言う事だった。拍子抜けというか。当然の結果というか、向学心に燃えていたのに、残念。市町村に於ける一般廃棄物の会計に統一が無く、それ以上に会計そのものが無く。考えようもなかったというのが、今までの実態。環境省の策定委員の石名坂賢一氏が講師だった。

環境省が今年6月に廃棄物会計基準を公表し、今年度13の自治体に実際にこの会計基準で廃棄物の実相を表してみる。市民と行政に廃棄物共通言語を造る。当然の事だ。例えば、一部事務組合方式や、新しい自治体を超えた枠組みで行う方式など、このままではごみ処理の実態が、市民からさらに見えなくなる可能性が起きている。そこで、企業会計の手法を取り入れ、市民を株主と見立て、会計から全てが見通せる形を作ろうとしている。この側面から見ると、良い事尽くめに見えるが、背景にはごみ処理費の増大がある。地方公共団体の支出の5~10%が一般の市町村のごみ処理費用だ。これに音を上げた政府は、一般ごみの有料化を提案した。有料化を提案する以上。その根拠が見えなければ理解が得られないという事が、廃棄物会計基準の策定になった。

会計基準そのものは、中立的なものであるが、海外の処理費との比較は避けられている。処理費の高騰が、止む得ないものであるかは、海外との比較こそ必要であろう。東京都で、プラスチック類の焼却が行われる。経費の増大が背景にある。1トンのプラステックのリサイクルに5万円かかり、1000円の成果物しかない。これをリサイクルと言えるか。むしろプラステックの焼却を行い。助燃で使う灯油を節約した方がよほど経済的だ。というような論理構成の背景に、利用されるのが当面の廃棄物会計となっている。その前に行わなくてはならないのが、製造者責任の明確化のはずだ。費用の前に、ごみを削減する為の仕組みには、製造者に負担増になるような、製品を作らないことが必要。

将来例えばプラズマ炉が完成し、理想的な焼却炉が出来る。コストから見て、燃やすのが一番という発想は、今後強まるだろう。全てを燃やしてしまえば、分別も要らないし、老齢化社会には優しい仕組みだ。何処が問題か。地球の崩壊が早まると言う事。暮らしを変えずに、消費的循環を何処まで合理化したところで、崩壊への道が近づくだけ。ごみなどでない、暮らしに暮らしの方を変える以外に道はない。それは、やさしいどころか、茨の道に違いない。年寄りだけでは、無理な暮らしになるだろう。というようなことを考えながら、廃棄物会計基準に自分の町を当てはめて見る必要はある。特に広域化する場合は、不可欠の事だろう。広域化すれば、コストが削減できる。こんなことを発言しているが、本当かどうかはこの会計基準に当てはめて見ない限り、分からない事のはずだ。判らないのに、適当に発言して、済ませているレベルでは、ごみ処理コストは増えるばかりだ。

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