産婦人科医師不足の奥にある理由
産婦人科の医師が不足している。10万都市で1人などと言う状態があるそうだ。もう外国人医師をお願いするしかないという状態らしい。背に腹は変えられないとは言え。ちょっと変だろう。何故、産婦人科医が不足するか。考えて見たい。よく言われるのが、訴訟が多いいから、産婦人科は否。こういう人も確かに居る。しかしそれより大学の医学部段階での判断が、大きい。医学部は学部に進んで、4年生になって、外科とか内科とか産婦人科とか、進路を決めるらしい。進んでからも変更は聞くらしい。大学ではどうせ一通りやる、訳だから、産婦人科医だからケガの治療が出来ないという訳ではない。当然やっていいし、技量もある人が普通だ。金沢大学の昔はそんな風になっていた。
推測から書いてしまえば、産婦人科が儲からないから、と言うほうが本音だと思う。拝金主義の時代。儲かればやる。所属していた美術部には医学部の人達が10人くらいはいた。みなさんずば抜けて優秀な人達だった。その人達を通して、色々の医学部の人達を知った。ナルホド医学部に進む人は他の学部の人とは違うと、感じた。私などは、何故大学に来たのか、と言う事を考える為に、そこに居たという程度で、将来の事は何も決まって居なかった。どちらかと言えば、漠然と学問がしたくて、大学に居た。と言うような気分だった。所が医学部の人達だけは違う。つまり、職業専門学校なのだ。高校生のときに、特に受験に強い。そうした人が、人生の方針を16,7で決めて、進学している。高校生のときに弁護士になる事を決めて、法学部に進む。しかし、大学で学ぶうちに進路が変わる。こういう人とは違う。進路を変えるなら、医学部を退学することになるのだろう。
その選択に影を落としているのが、医師になれば、経済的にも良さそうだし。社会的にもステータスでもある。自分が受験に優れているから、そうした道を選択できる。それで、医師と言う職業に生きると言う意味を、少々早まって決める。そういう傾向がある。受験に強いが故に、あるいは競争に熱心であるが為に、勝者として、医師を選ぶ傾向がある。そうした選択の勝者は、上昇志向が強い。加えてプライドが高い。学部に進み、いよいよ、何科に進むかを決める。ここで、産婦人科に進む人が極端に少ないと言う事になる。お産が病気でないという事もある。上昇志向とプライドが、なかなか産婦人科を選ばせない感じを受けた。白い巨搭の財全教授が産婦人科医と言う事はない。
産婦人科専門の4年生の大学を作ると言うのはどうだろうか。医学部だけは何故か教養学部も6ヶ月長かった。医者だけが教養が必要という訳ではない。4年で、産婦人科の専門医を作る。病気の治療より、子供を取り上げる事の方が、好きだ。そうした人もいるはずだ。医師の世界と言う独特のヒエラルキーから、子どもが産まれると言う事を切り離す。助産士が昔のお産婆さんの世界から、上手く移行していない気がする。国は少子化で担当大臣まで置いておきながらおかしな事だ。危険度の高い妊婦や新生児を受け入れる拠点病院として各地に設置されている「総合周産期母子医療センター」の約7割が、2005年度に満床などを理由に地域の産科医院などからの母体搬送を断ったケースがあることが26日、厚生労働省の実態調査で分かった。新生児の搬送も約6割が断ったケースがあった。