台風9号十文字橋の崩落
酒匂川中流域の十文字橋が、9号台風で、崩落した。酒匂川は足柄平野に入ると、流れを急に弱める。富士山と丹沢山塊という広い流域からの水を集め、一気に下ってくる。あっという間に、海まで流れてしまうので、管理の難しい川だろう。台風9号のわずかな増水で、十文字橋が壊れてしまった。まさか、と地元の人達も信じられない思いだ。7月4日の雨なら、納得が行くが、今回は130ミリ程度の雨だ。上流部丹沢湖で、累計で300ミリ時間雨量最大44ミリ。いずれも記録に残るほどの雨ではない。少ない雨ではないが、極端な豪雨という訳ではない。昨日も書いたが、久野辺りの様子は、たいした被害は無かった。春頃だか、釣り人が流されて死んだのもあの辺りだ。そのときもダムの放流との関係が云々されたが、放流との関係は否定された。
酒匂川は滝だそうだ。距離と、高低の落差を考えると、山北までの酒匂川は滝だそうだ。所が、この滝に普段は水がない。丹沢湖で取水した水は、導管で引かれてしまい。河床を流れない。普段殆ど水がないところに、豪雨の増水でダムが溢れるような状況でダムの放流が行われる。川も結構増水して居る時と重なる。水かさの急に増した酒匂川は、足柄平野で曲がりくねることになる。江戸時代、治水が完成するまでは、氾濫を繰り返していた辺りだ。治水されたといっても、弱い箇所は同じで、流れの弱まる平野部の入り口だ。山北から東に向かっていた酒匂川は、松田町で秦野方面から来る、支流と合流して、南へと向きを変える。丁度ここに十文字橋はある。足柄古道と言う、東海道が出来る前の関東への道があった。その矢倉沢往還も酒匂川をこのあたりで渡った。最近まで十文渡しのケヤキの古木が橋の袂にあった。
江戸時代になると、大雄山への信仰で、道了尊詣で、富士講などで、この辺りの渡しもにぎわったらしい。基本的には歩いて渡る。水かさが増えると、渡し舟が出たようだ。十文が渡し賃と言う事らしい。崩壊した十文字橋は1917に掛けられた。二百メートルは越える結構大きな橋だ。隣に、新十文字橋が出来て、バスなどはそちらを通るようになっている。新橋が出来て、橋の管理も国から、松田町、開成町に移管された。酒匂川の他の橋から見れば、極端に古い。幅が狭く、大型車の通行は出来ない。古い橋ではあるが、松田町の商店街と、開成町の役場方面と、この橋で結ばれ、生活道路としては、結構利用される橋だつた。橋脚の根本が強い水の流れで、えぐれて沈み込んだ為、橋がV字に折れ曲がった。
7月4日の豪雨の後充分点検をしていたのだろうか。前回の雨で崩壊は始まっていたような気がするが、そんなことは無かったのか。ここはしっかりと確認の必要がある。崩落は両町の職員が、通行止めの相談をしている目の前で起きた。その職員も、今わたりきった所。その後3台の車が通り、最後の車はもう段差が出来ている、崩落すんでの所を渡ったそうだ。あの台風の最中の、夜中の1時半一体、どんな用事で、そんなに車が動いているのだろう。台風ともなると、海岸も河岸も結構見物の人が出らしい。報道は煽るように小田原港の様子を生中継していた。アドレナリンが出てきて、家でじっとして居られない。自己管理。台風が来るというと、急に屋根に上って、怪我をする人が居る。私は何もしない。普段出来ない事をこの際やろうとしてもいいことはない。